【最終章】   [ 京都の猛虎斑  作 ]

2003年9月15日月曜日 阪神甲子園球場
事前に買っていた指定席があったにも関わらず、仕事で手放す事になった。
納期は火曜朝。でも仕事なんて手に付かない事態に陥っていた。


エース井川で負けた開幕戦。しかしこの1年間、骨の髄まで楽しませてくれた。
その集大成の瞬間が近づいているのだ。

マジック2。
広島との息詰まる一戦も、赤星の劇的サヨナラ打でマジック1とする。
今季の赤星の成長は目を見張るモノがあった。
しかしまだマジックはひとつ残っている。
他力本願?それも阪神らしくていいやないか!
散々苦しめられた優勝の瞬間は、気紛れな女神の笑顔で幕を閉じようとしていた。
今年、僅差の勝利の積み重ねでお得意さまと言われた横浜が、神宮で勝てなかったヤクルトを負かそうとしている。
ブラウン管に映し出される甲子園は満員のまま。
俺が行くはずだった指定席に陣取る後輩は、歓喜のメールを何度となくよこす。
「あ〜クソ〜!」と悔やんでみたが、それはすぐに忘れられた。

横浜の勝利でグラウンドになだれ込む選手達。その輪の中に星野監督が加わり胴上げが始まる。
甲子園は歓喜の渦。そして島野が舞い、檜山が舞う。
田淵は?田淵は?
無心で探す目に星野監督に歩み寄る田淵幸一が映し出される。
甲子園の歓喜の喧噪では見られなかった映像が俺の前に流れる。
50過ぎのオヤジ二人の熱き抱擁。垣間見える田淵は嗚咽している。星野もそうだ。
長い長い抱擁は霞んで見えなくなった。
あのクールでダンディで大らかな田淵が泣いている。
俺のヒーローだった田淵が縦縞を着て泣いている。
もう何もいらなかった。ボロボロと流れる涙は、正座した膝にこぼれ落ちる。
俺の脳裏にはスリムだった若かりし田淵が甦る。
阪神の野球帽を被り、あの見事な軌跡に心奪われた少年の心が甦る。
ありがとう。帰ってくれてありがとう。何度も何度も呟いた。

記録ずくめのシーズン。歴史を作ったシーズン。賛辞の言葉は尽きない。
しかし、本当に阪神タイガースは強くなったのか?
ダメ虎は猛虎になったか?常勝軍団と呼べるのか?
道半ば…日本シリーズを前にして星野辞任が報じられる。
同時にそれは、田淵が縦縞を脱ぐことをも意味していた。


日本シリーズ直後の星野監督勇退会見に田淵の姿はなかった。
田淵は誰のために縦縞を着たのか?
その答えは聞けないままに、どこまでも脇役に徹したヒーローは黙って旅立って行く。

そう、映画「シェーン」のラストシーンのように…

ひとつ違うのは、少年は「シェーン、カンバーック!」とは叫ばないこと。
今は、田淵の大きな背中を誇らしげに見送ることが出来る。
途切れた夢は繋がった。
旅立つヒーローの美しい軌跡は、俺の心にもう一度刻まれたから…

《 完 》
フォント種類 フォントサイズ 行間幅 下線 有/

※[プロフィール登録]をしている作者は、作者名をクリックするとプロフィールが見られます.
※フォント切り替え等は機種,ブラウザにより正常に機能しない場合があります.(特にmacは・・・)
※本コーナーの創作物の著作権はサイト管理者T.Aまたは作成者に帰属します.承諾なしに、転載、複製、二次利用する行為を固く禁じます.