【後戯】   [ 京都の猛虎斑  作 ]

ベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。原因はマリ子の下着姿だ。
別れた嫁さんとは5年間も同棲し、結婚はわずか10ヶ月で終わった。
同棲も結婚も同じだと思っていたが、背負うモノが違う事に気付かなかった。
甘ちゃんだったわけだ。
それでも5年間の同棲は有意義だった。女性の生態もある程度判ったし、女性のファッションにも興味が湧いた。
その中でも、マリークレールのキャミソールは気に入った。
何てことない綿素材のキャミソールとパンツ。それが凄くセクシーに感じたのだ。
裸にワイシャツ姿にセクシーを感じるのと似ているのか?
それとも片岡義男の小説に感化されているのか?
ともかく普段のマリ子と違う何かを感じてしまったのは確かだった。

そんな妄想を膨らませていた僕のベッドに、音もなくマリ子が滑り込み、壁を向いて丸くなっていた背中に抱きついてきた。
予期せぬ出来事に眠る振りを続ける。今でも寝る時はTシャツとトランクスのみ。パジャマや浴衣は好きではない。
その僕の素足にマリ子のスベスベの太股が触れる。回された手は胸をさする。
『据え膳喰わぬは男の恥』ご都合主義の言葉が脳裏をよぎる。

「どうしたん?眠れへんのか?」問い掛けで見るが返事はない。
マリ子の手を握り、もう一度聞く。
「どないしたん?」
「ううん」かすれた声でそう言うとギュとしがみ付いてきた。
アカン!普段とのギャップの所為か、マリ子が可愛く思えてしまった。
もう躊躇う理由は何処にもない。体勢を入れ替えて正面からマリ子を抱きしめる。
絡み付くマリ子の足、アルコールの香りのする吐息…
マリ子の欲求のベクトルは遙かに高く、貪るように求める。僕はマリ子に弄ばれているようだった。
そして、男の気配を感じない普段の姿からは考えられない手慣れた仕草は、男のツボを心得た熟女のそれのようだった。
彼女の発する色香は僕を魅了した。普段は無愛想でもよがり顔で感じさせるオンナが居る。マリ子もそんなオンナのひとりだった。
そんな彼女の欲望に引きずられるように、疲労している体とは裏腹にいつもより乱暴になっている自分が居た。
痺れるような快感。僕は全てを出し切ったランナーのように疲労していた。
荒い呼吸のままにマリ子を見つめると、薄明かりの中で妖艶に笑っていた。

聞いてもいないのに、身の上話を語りだしたのはそれからだった。
東京の著名な出版社に、学生時代から付き合っている男が居ること。
その男には家族があり不倫関係の間に可愛い娘が生まれたこと。
娘は夫婦の義理SEXで出来たのであり、行為に愛情はなかったこと。
男は真剣に離婚を考えていて、将来を想定し娘とも逢っていること。
月に二回は大阪に来てくれて、マリ子も時間が出来れば逢いに行くこと。

睡魔に襲われつつ、マリ子が都合のいいオンナである事を知る。
でも何故、僕と寝て男の話をしたのか判らなかった。
そして、その時点ですでに後悔し始めていた。男なんてそんなもんだ。
『石橋を叩いて渡れ』『後悔先に立たず』である。

話し終わるとマリ子はまた求めて来た。
もうそんな体力も気持もなかったので、誤魔化すようにマリ子を抱きしめる。
それでも覆い被さっていたマリ子の手はあらぬ所をまさぐろうとする。
仕方なく体勢を入れ替え、さらに強く抱きしめる。
するとマリ子は「もっときつく…」と言う。
柔道の縦四方固めのように渾身の力を入れてみるが、苦しむどころか嗚咽を漏らしだした。
「もっと、もっと…」マリ子は哀願する。
疲れ切っている体にはそんな余力はない。力を抜いた僕にマリ子は意外な言葉を吐いた。
「かんで…」
「肩、咬んで…」
やっと理解したが意味が判らず、マリ子の顔を覗き込む。
部屋にはいつしか朝の薄明かりが差し込んでいた。
マリ子は涙を流しながら「肩咬んでぇな…」そう言った。
言われるままにマリ子の肩に軽く歯を立てる。
「もっと…」先程のように哀願され、少し力を入れる。
「もっと、もっと…」
尋常じゃない要求にもう一度マリ子の顔を見つめる。
「血〜でるで…」そう言っても「かまへんから…」と言う。
心配になり自分の咬んだ場所を目で確認した時、衝撃が走った。
マリ子の肩には、自分のモノではない無数の咬み痕があったからだ。
驚いて上体を起こしマリ子の体を見つめ直すと、体には咬み痕だけでなく縛られたようなロープ痕や赤く爛れた痕が数え切れないほど付いていた。

疲弊した脳味噌では事態を認識出来ずにいたが、恥ずかしそうなマリ子の表情から彼女の性癖に気が付いた。
「やっぱり駄目なん?」そう呟くと落胆したような淋しそうな顔をした。
動揺を隠せない僕に見切りを付けた彼女は、黙って隣のベッドに戻り頭から布団を被った。
状況を分析しようと頑張ってみたが、やはり体力は残されてなく知らぬ内に深い眠りについた。

目覚めたのは昼前。完全に寝過ごしてしまった。
部屋にはマリ子の姿はなく、テーブルには社長のメモが置かれていた。
事務所に顔を出したが社長は出掛けていたのでそのまま帰宅した。
社長の指示通り三日間の休みを取った。その間ずっとマリ子の事を考えたが対処法は見つからなかった。
色校正の日、久し振りにマリ子に逢ったが、そこには何事もなかったように標準語を話すマリ子が居た。
花博の仕事はそれが最後だった。新しい引き取り手が出来たらしい。
その後、何度かマリ子に逢ったが挨拶以外の言葉を交わす事はなかった。

この話は魔物に出逢った最初で最後の出来事でした。

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