それは記録的な猛暑の夏だった。 グラウンドを申し込んだ時はそんなこと予測もしなかった。 なにしろ大阪で野球の試合をしようとしたら、何ヶ月も前に申し込まなければならない。それも申し込みが多かったら抽選になる。 申し込んだのは六月。まさかこんなに暑くなるとは…
我々の軟式野球チームはユニフォームや用具は揃っているものの、メンバーは9人しかいなかった。 その内、野球経験者がたったの3人。それも中学の部活レベル。他の6人の中にはキャッチボールすらおぼつかない者もいる始末。 その中の5人は野球好きで、試合がなくても休みの日に河川敷でみっちり練習していたが、後の4人は幽霊部員となってしまった。 試合となれば、知り合いの野球経験者を助っ人に呼ぶしかなかった。 その彼等も、なにがしかのチームに所属していたので試合が重なれば満足なメンバーで戦えなかった 。 相手チームは何度も対戦している写真事務所が母体だったが、ユニフォームもバラバラの助っ人集団だ。 試合の日を前にして問題が起こった。両チーム共、メンバーが集まらないのだ。 原因は連日の暑さだろう。参加を表明したのは野球経験者ばかり。野球が好きでないとこの暑さで試合をしようとは思わないのだ。 我チームが5人。相手チームも5人。仕方がないので女性をメンバーに入れてお遊びの試合にすることにした。
試合当日の朝6時半。両チームは市内の某TV局近くのグラウンドに集まった。 前日グラウンドの管理担当者から次の試合がキャンセルになって、午前中いっぱいグラウンドを使っていいと告げられたが、気温が上がれば適当に切り上げようと思っていた。 相手チームは某商店街の野球チームに声を掛け、野郎4人とマネージャーの女性2人を助っ人に呼んでいた。女性2人はソフトボールのユニフォームを着ていた。 我チームは僕の友人の元高校球児と野球経験のない大学生2人と飲み屋の姉ちゃん2人。 大学生はジーパンにTシャツ。お姉ちゃんにいたってはピチピチの短パンにノースリーブのシャツと、ツバのでかいサンバイザーにサングラス姿だった。 相談の結果、両チーム共女性2人を入れて当初の予定通りお遊び野球にすることにした。この時点で商店街チームの助っ人達は不満を漏らしていたのだが… とにかく我チームの先攻で試合は始まった。野球経験者には真剣に、未経験者には手加減して、女性には下手投げで打たせてあげる。そんなルールにした。 これが間違いの始まりだった。 二回まではほのぼのとした試合展開だったが、事件は三回表に起こった。 キャッチボールもおぼつかない我チームの大学生が二塁打を打ったのだ。生まれて初めての経験に塁上で大喜びする大学生。それが気に入らなかったのか、相手チームのセカンドが隠し球をしやがった。 お遊びなんだからと抗議したが、商店街チームのリーダーは「ルールだから仕方ない」と頑として譲らなかった。確かにルールには違いない。 しかし、ここから試合は一変してしまった。 次の打者はチャラチャラした格好の飲み屋のお姉ちゃんだったが、相手のピッチャーは内角に全力のストレートを投げ込みやがった。仰け反り尻餅をつくお姉ちゃん。 ピッチャーは商店街の助っ人だったので当然のように乱闘寸前になった。 なんとか暴力沙汰は免れたが、とても試合を再開できる状態ではなかった。 しかし商店街チームのリーダーが詫びを入れ試合再開を申し出た。 やりたくなかったが協議の結果8人同士で再試合にすることになった。 再試合を熱望したのは僕の呼んだ助っ人だった。 彼はピッチャーに名乗り出て僕をキャッチャーに指名した。このチームで彼の球を受けられるのは僕だけだったからだ。 野球未経験の大学生2人がいる我チームは不利だったが、もはやそんなことはどうでもよかった。
朝七時に始まった試合は揉めたこともあって九時に再試合となったが、すでに夏の陽射しがギンギラギンで飲み屋のお姉ちゃんは早々に退散していた。 こうして泥沼の試合は始まった。 相手チームは二遊間とバッテリーが商店街チーム。写真事務所のチームは乗っ取られた格好だ。マウンドには、お姉ちゃんに速球を投げたピッチャーが立っていた。 こいつは、詫びを入れたと思えないようなブラッシュボールを投げて来る。 しかし真剣勝負だから承知の上。先頭バッターはボテボテのショートゴロでも一塁にヘッドスライディングをしていた。 こちらもセンターラインを野球経験者で固めていた。我チームの左腕ピッチャーも内角ギリギリにスライダー、外角いっぱいにシュートを決める。気迫がボールの乗っていて僕の親指の付け根は悲鳴を上げていた。 喧嘩腰の試合は白熱した投手戦となり1点を争う好ゲームとなったが、回を追うごとに夏の陽射しは厳しくなり、雲ひとつない空と無風が空気を沸騰させようとしていた。 両チーム共に主力は三十代にもかかわらず意地のぶつかり合いで弱音は吐かなかったが、五回を過ぎる頃には汗も出なくなっていた。 攻撃中、キャッチャーマスクをベンチの椅子の下に隠していた。ベンチといっても屋根もなかったからだ。 しかし、大学生は親切のつもりで椅子の下のマスクを椅子の上に置いてくれた。それも内側を上に。守りの時にマスクを被ると内側は熱したフライ板のように熱かった。 試合は共にエラーと四死球絡みで4対4のタイスコアー。 運動不足の大学生はもはや使い物にならなかったし、写真事務所のメンバーも戦う理由が見つからないと愚痴をこぼしはじめていた。 両チーム共、守備が終わると我先にグラウンド外の水道の蛇口に集まり頭から水を被っていた。それでも試合を止めようとはしなかった。
4対4の七回表、最終回だ。 二死後、僕は甘い球を左中間に上手く打てて二塁打となった。次の打者は元球児。当然歩かすと思っていたがバッテリーは勝負してくれた。 僕はラッキーだと思っていた。相手ピッチャーはこの暑さでヘロヘロになっていたからだ。 浮き始めたストレートを狙え。ヤツに変化球を投げる握力はなくなっている。そう思っていた。 一球目、故意ではないが内角に投げたストレートが浮いて打者の顔をかすめた。 ヤツの性格はこの試合で把握していた。もう一球内角にくる。そう予測していた。 思った通り力無い球が甘い内角に入ってきた。元球児も狙っていたようで思いっきり引っ張りやがった。僕は全力でホームに向かったが、右中間に飛んだ打球はフェンスを越えた。2ランホーマー。これで勝ったと思った。
6対4の七回裏。 我チームのピッチャーもヘロヘロだった。先程のホームランで力尽きたのか? 一死後、内角を突きすぎて二者連続デッドボール。次のバッターはボテボテのファーストゴロで二死二三塁。 一気にピンチになってしまった。打席には商店街チームのリーダー。 こいつだけは押さえたい。そう思っていたが初球のスライダーが曲がらずど真ん中に入ってしまった。 やられた!フェンスオーバーされたと思った打球はかろうじてフェンス上部に当たってフィールドにはね返ってきた。クッションボールを逸らした大学生はよれよれになりながらセカンドにボールを返す。二塁ランナーは難なくホームインして同点とされていて、バッターも三塁を回わろうとしていた。 今度こそやられたと思った矢先、商店街のリーダーはホーム手前でつまずいて顔面から地面にダイブしていた。 セカンドの送球は一塁側に大きく逸れていたが、かろうじて僕のミットに収まった。 慌ててタッチに行くとリーダーは身動き出来ずにうつぶせで荒い息をしていた。 僕はそっと背中にタッチした。 両チーム共、延長戦を戦う気力は残っていなかった。遺恨もどこかに吹っ飛んでいた。 ゲームセットは十一時半。塩を吹いた帽子を脱いで会釈した。 商店街のリーダーが倒れていたベース手前の砂は、水浸しのユニフォームで濡れていた。
試合の日はその年一番の暑さだった。 そして草野球っていいな!そう思った三十五才の夏だった。
《 完 》
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