◇後楽園(巨人11勝5敗2分) 観衆:4万
阪 神000 010 000=1
巨 人000 000 02×=2
勝:菅原 7勝2敗
負:江夏 8勝8敗
<阪 神> 打 安 点 振 四 <巨 人> 打 安 点 振 四
(6)藤 田 4 0 0 1 0 (8)柴 田 3 0 0 2 1
(4)吉 田 4 0 0 0 0 (6)黒 江 4 2 1 0 0
(3)遠 井 3 1 0 1 1 (3) 王 3 1 1 0 1
R 安 藤 0 0 0 0 0 (5)長 嶋 4 0 0 1 0
(7)山 内 3 0 0 1 0 (2) 森 3 1 0 1 0
8 池 田 1 0 0 0 0 (7)高 倉 2 0 0 1 0
(9)藤 井 2 0 0 1 1 7 末 次 1 0 0 0 0
(8)西園寺 2 0 0 1 1 (9)田 中 3 0 0 1 0
(5)朝 井 3 1 0 0 0 (1)金 田 2 0 0 0 0
(2)辻 佳 3 1 1 0 0 1 菅 原 1 0 0 1 0
(1)江 夏 3 1 0 1 0 1 中 村 0 0 0 0 0
1 若 生 0 0 0 0 0 (4)土 井 2 1 0 0 1
回 安 振 四 責 回 安 振 四 責
江 夏 72/3 5 7 3 2 金 田 72/3 3 6 3 1
若 生 1/3 0 0 0 0 菅 原 1/3 0 0 0 0
中 村 1 1 0 0 0
* *
金田正一。長身の左腕から投げおろす速球と落差の大きなカーブを武器に、「セ・リーグのお荷物球団」と呼ばれた国鉄(現ヤクルト)の絶対的エースとして活躍、14年連続20勝を含む通算353勝というとてつもない成績をあげた。1965年、巨人に移籍。その後は年齢から来る衰えもあって、在籍5年間で47勝に留まるが、日本プロ野球では空前絶後の通算400勝という偉業を成し遂げた大投手である。
その金田が、巨人時代で最高の成績(16勝)をあげた1967年は、江夏が鮮烈なデビューを果たした年でもあった。プロ18年目、34歳の金田とプロ1年目、19歳の江夏。新旧の速球派左腕は、不思議とよく投げ合った。この年、江夏が巨人戦に先発した7試合のうち、3試合に金田が先発している。
初対決は6月20日の甲子園。延長11回を戦って1対1で引き分けた試合、金田は7回、江夏は9回をともに1失点で抑えている。2度目の対戦は8月2日で、舞台はまたも甲子園。この時は阪神打線がそれでまで0勝2敗と分が悪かった金田を攻略し、5回途中でKO。一方の江夏は、9回を2失点10奪三振の完投、4対2で阪神が勝った。その2週間後、3度目の顔合わせが、初めて後楽園で実現した。
この頃の江夏は、新人ながらすでに、村山、バッキーと並ぶ阪神投手陣の柱としての地位を確立していた。当時の新聞記事は、江夏の躍動感あふれる投球を、次のように描写している。
「…ピチピチとはねるような投球ぶり。思い切りそり返る上体。弾力的にふりあげる足。延びる左腕。この一連のピッチングフォームは性能のよいエンジンを思わせた。『吸入―圧縮―爆発―排気』というスムーズな運びのそれである。」
金田は、江夏の溌剌とした姿にかつての自分をダブらせていたと言う。「自分も若い頃、杉下さん(注1)や別所さん(注2)という大投手が相手になると、きまって好投した。おかしなものだ。」
ONを中心とする巨人打線に対しても臆することなく、真っ向から速球を投げ込む若武者。対する15歳年上のベテランは、スローカーブに速球を交えたコンビネーションで阪神打線に的を絞らせない老獪なピッチング。互いの持ち味を生かした投手戦は、5回の辻佳紀のタイムリーが唯一の得点となったまま、終盤を迎えた。
8回表、金田は2死を取ったところで菅原にマウンドを譲る。これで3度の対決はすべて、金田が先に降板することとなった。8回裏、下位から始まる巨人の攻撃は、連続三振で簡単に2アウト。ここまで巨人の安打はわずかに2本。この日の江夏の出来からして、巨人の敗色は濃厚であった。
しかし、ここから巨人の粘り腰が発揮される。9番土井の打球は強い3塁ゴロ、バントを警戒して前進守備だった朝井のグラブをはじく内野安打となる。打順は1番に戻り、柴田がフルカウントから四球を選んで1,2塁。続く黒江は、2−1と追い込んでから甘く入った速球をセンター前へタイムリーヒット。1対1の同点に追いついてなおも1,3塁。この場面で王の打球は、ボテボテの2塁ゴロ。速い打球に備えて深い守備位置を取っていた吉田が懸命にダッシュして1塁に送球するも間に合わず、柴田が決勝のホームを駆け抜けた。
不運な内野安打が続いて逆転負けを喫した江夏は、試合後、同点となった場面のコントロールミスを指して、「ぼくのピッチングではあれが限界。もう少しコントロールの勉強をしなくては…」と反省の弁を繰り返した。それは、いつも強気で通す若武者には珍しい謙虚な姿であった。
当代一の大投手と真っ向から投げ合い、自分の力を存分に出し切ることができた。試合には負けたが勝負には勝った―そんな満足感が、この日の江夏の胸中にあったのだろう。
* *
(注1)杉下茂:1950年代に活躍した中日のエース。フォークボールの元祖で、通算215勝。中日が初のリーグ優勝を果たした1954年には、32勝をあげて投手部門のタイトルを総ナメし、MVPを獲得した。
(注2)別所毅彦:1940年代に南海、50年代に巨人で活躍し、歴代5位の通算310勝をあげた豪腕投手。最多勝利3回、MVPと沢村賞各2回。1947年に記録したシーズン47完投はプロ野球記録である。