【第3回:「たとえ腕が抜けても」江夏、巨人打線の前に仁王立ち〜1968年9月17、19日】   [ アーチスト田淵  作 ]

◇17日 甲子園(巨人11勝9敗) 観衆:5万5千
 巨 人000 000 000 000 =0
 阪 神000 000 000 001x=1
  勝:江夏 23勝9敗
  負:高橋一 5勝3敗

<巨 人>   打 安 点 振 四 <阪 神>    打 安 点 振 四
(7)高  田  3 0 0 1 0 (6)藤  田   5 1 0 1 0
H 高  倉 1 0 0 0 0    (7)西園寺    4 3 0 1 1
9 田  中 1 0 0 0 0    (3)遠  井  5 0 0 2 0
(4)土  井 5 0 0 2 0    (9)カークランド5 0 0 0 0
(3) 王 4 0 0 3 0    (8)藤  井  5 0 0 0 0
(5)長 嶋  4 1 0 1 0    (5)小  玉   5 2 0 1 0
(8)柴 田  4 0 0 1 0     R 本屋敷  0 0 0 0 0
(9)7 末 次 4 2 0 1 0    (4)吉  田   4 1 0 0 1
(2) 森 4 0 0 1 0    (2)辻  恭  4 1 0 0 0
(1)高橋 一 4 0 0 3 0     H 辻  佳   0 0 0 0 1
(6)黒 江 3 0 0 0 0    (1)江 夏  4 1 1 0 0
6 千 田 1 0 0 0 0

      回 安 振 四 責           回  安 振 四 責
 高橋 一 111/3 9 5 3 1       江  夏  12  3 13 0 0

二塁打:長嶋、西園寺  盗塁:阪神1(カークランド)  失策:巨人1(末次)


◇19日 甲子園(巨人12勝11敗) 観衆:5万3千
 巨 人000 000 000 =0
 阪 神000 000 21X =3
  勝:江 夏 24勝9敗
負:倉 田 4勝5敗


<巨 人>   打 安 点 振 四 <阪 神>    打 安 点 振 四
(8)柴  田  4 0 0 2 0 (5)藤  田   4 0 0 0 0
(7)高 田 4 0 0 2 0    (4)本屋敷    4 2 0 0 0
(3)国  松 3 0 0 1 1    (3)遠  井  4 0 0 1 0
(5)長 嶋  4 0 0 1 0    (9)カークランド2 1 0 1 2
(9)末  次  4 2 0 2 0    (8)藤  井  2 0 1 0 0
(2) 森 3 0 0 0 0    (7)西園寺  2 1 0 0 2
(6)黒 江 1 0 0 0 0    (6)吉  田   3 0 0 0 0
 H  滝 1 0 0 1 0   (2)辻  恭  2 0 0 1 1
6 千 田 1 0 0 0 0 (1)江 夏  3 1 2 1 0
(1)倉 田 2 0 0 1 0
1 宮 田 0 0 0 0 0
 1 中 村 0 0 0 0 0
 1 高橋 一 0 0 0 0 0
H 田 中 0 0 0 0 1
 1 堀  内  0 0 0 0 0
(4)土  井  3 2 0 0 0

      回  安 振 四 責           回  安 振 四 責
 倉  田 61/3 2 4 3 2       江  夏  9  4 10 2 0
 宮  田  1/3 0 0 1 0
 中 村 0 1 0 0 0
 高橋 一 1/3 0 0 0 0
 堀 内 1  2 0 1 1

 暴投:堀内

                    * *
 一枚の写真がある。
 左側に、バットを片手に、肩を落としてとぼとぼと引き上げる打者がぼんやりと写っている。その反対側には、マウンド上で仁王立ちし、胸を張る縦縞ユニフォームの投手。胸には「Tigers 28」の文字が鮮やかに映えている。勝ち誇ったような表情は、いままさにこの打者を三振に打ち取った瞬間か。
 勝者と敗者のコントラストがあまりにも強烈なこの写真は、ジャイアンツV9の時代、「万年2位」に甘んじていたタイガースが意地を見せた名場面として、オールドファンの記憶の中に焼き付いている。
                   * *
 1968年のシーズン、阪神は開幕から5連敗。2年目の江夏が巨人戦でチーム初勝利をあげ、その後も快調に白星を重ねたのに対し、血行障害に苦しむ村山は、6月を終わって未だ勝ち星なしという大不振。江夏・バッキーと並ぶ先発3本柱の一角を欠いたチームは苦しい戦いを強いられ、7月末の時点で首位巨人に10.5ゲームの大差をつけられて4位に沈んでいた。
 ところが、8月になると、村山の復活で投手陣が整備された阪神が、新外国人カークランドの活躍もあって快進撃を始める。中日(現ナゴヤ)〜西京極〜後楽園〜神宮〜川崎〜広島と続く「死のロード」を15勝2敗という驚異的なペースで勝ち進み、もたつく巨人を激しく追い上げ、8月末の時点で1.5ゲーム差にまで迫った。9月に入るとさすがに調子が落ちはじめ、下位のチームに対する取りこぼしも出てきたが、一方の巨人も決定的に突き放すことはできないまま、ペナントレースは最終盤に突入していった。

 そして迎えた9月17,18,19日、甲子園での阪神対巨人4連戦(18日はダブルヘッダー)。この時点で両チームのゲーム差は2。しかし、残り試合は巨人の方が7試合多い。負け数6の差を縮めるためには、阪神はこの4連戦を最低でも3勝1敗で乗り切らなければならない。ここで藤本監督がとっておきのカードを切る。それは、チームの勝ち頭の江夏を、中1日で第1戦と第4戦に先発させることだった。
 このシーズンの江夏は、ここまで巨人戦に4勝1敗。そのうち3試合が1対0の完封勝利と、絶対の自信を持っていた。そして、彼にはもう一つ、大きな目標があった。シーズン奪三振の日本記録更新である。常々、「新記録は巨人戦で達成したい」と語っていた20歳の2年目左腕は、この時点で345個の三振を奪い、1961年に稲尾和久(西鉄)が記録した日本記録まであと8個と迫っていた。

 江夏は立ち上がりから快調だった。コーナーをつく速球とカーブが冴える。3回に金田正一の持つセ・リーグ記録(350個)を更新し、4回には2死から王に対して、2−1と追い込んでから外角のカーブを空振りさせ、あっさりと日本記録に並んだ。
 しかし、5,6回と江夏は、巨人打線から三振を奪っていない。試合後、報道陣に「4回、王さんの後、長嶋さんから奪いたかったが、それも仕方ない。」と語っている。しかし、これは、「狙っていたが奪えなかった」という意味ではなかった。
 江夏の回想によると、シーズン前のキャンプで、江夏は村山から「長嶋さんは俺のライバルだから、お前は王をライバルとしろ。」と言われたという。自分が師と仰ぐ村山のライバルである長嶋から新記録の三振を奪うことはできない。それなら仕方がないと、江夏は狙いを王一人に絞ったのである。
 巨人の各打者が、記録を恐れて当てるだけのバッティングに変わったことも幸いして、江夏は、優勝をかけた大一番に、「記録のために、わざと三振を取らずに相手を抑える」という芸当をやってのける。バッテリーを組むのは、江夏に投球術を教えた「ダンプ」こと辻恭彦。

 そして迎えた7回1死、王が3度目の打席に入った。初球、外角へのストレートがズバッと決まって1−0。2球目のカーブは真ん中に入るが、タイミングを外された王はファールにするのが精一杯。2−0から1球に外した後、4球目は外角高目へのストレート。王はフルスイングするも、バットは空を切る。ついに新記録の達成、冒頭に紹介した写真の場面となった。

 その後も巨人打線につけ入る隙を与えない江夏だったが、味方打線の援護がない。大方の予想を覆して先発した左腕の高橋一三の前に、遠井、カークランド、藤井の左3枚のクリーンアップが沈黙。両チーム無得点のまま、延長12回裏、阪神の攻撃を迎えた。
 この回先頭の小玉が、3塁後方へのテキサスヒットとレフト末次の1塁悪送球で2塁に出塁。吉田敬遠の後、小玉の代走本屋敷がサイン違いで盗塁死し、1死2塁となる。ここで巨人バッテリーは、代打の辻佳紀を敬遠して塁を埋め、江夏と勝負する。ところが江夏は、初球の真ん中に入ってきたストレートを強振した。打球は、ファーストの王が差し出すミットの下をくぐり抜けてライト前へ。2塁走者の吉田が巧みなスライディングでサヨナラのホームを踏んだ。投げて、打って。首位決戦第1ラウンドは、江夏の独り舞台のまま幕を閉じた。
                   * *
 第1戦を江夏で先勝した阪神は、翌18日のダブルヘッダー第1試合も、村山の力投と辻佳紀のサヨナラ2ランで2対0と勝つ。しかし、バッキーと巨人荒川コーチの乱闘事件で大荒れとなった第2試合は、長嶋の2本塁打などで巨人が10対2と大勝し、一矢を報いた。
 阪神の2勝1敗で迎えた第4戦。この試合に負けると、逆転優勝の可能性ほぼ消える。林投手コーチが言った。「江夏、この試合が最後だと思って投げてくれ。腕が抜けても…。」

 江夏は投げた。疲労で「マウンドに立っても目の前が真っ暗になるほどだった」が、気力で投げ続けた。前日の死球禍で王を欠く巨人打線を9回零封。
 そして打った。0対0で迎えた7回裏、2死満塁の場面でショート後方へのテキサス安打を放ち、2走者をホームに迎え入れた。これが決勝点となる。8回にも1点を追加した阪神が3対0で快勝。
 狙い通りの3勝1敗で、巨人とのゲーム差は0となった。10日後には、後楽園で直接対決3連戦がある。逆転優勝への機運は盛り上がった。しかし―。

 巨人は、土壇場で強かった。甲子園決戦の後、4連勝。対する阪神は、大洋戦にまさかの1勝1敗で、両チームの差はまた2ゲームと広がる。
 そして迎えた28,29日、後楽園での最終決戦。もはや3連勝しか残された道はない阪神は、負傷のバッキーを欠く中、頼みの綱の江夏を2連投させる。
 その江夏が打たれた。初戦、まさかの5回途中KOで敗戦投手。翌日のダブルヘッダー、第1試合を村山で勝った後の最終戦、味方の拙攻続きの中を1失点で踏ん張るが、同点で迎えた延長10回、2死3塁から高田にセンター前タイムリーを打たれ、万事休す。
 マウンド上でしばし茫然と立ちすくんだ後、吉田に慰められながらマウンドを降りる江夏。がっくりとうなだれ、涙を拭う姿は、10日前のマウンド上での仁王立ちとあまりにも対照的だった。
                  *  *
 江夏は敗れ、タイガースは優勝を逃した。しかし、江夏自ら「一番マウンドに上がる楽しさがあった」と回顧する1968年。その年の秋に20歳の若虎が甲子園で見せた快投は、タイガースの誇るべき歴史の1ページとして、いつまでも語り継がれていくであろう。

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