【第4回:田淵、巨人戦初HR!「黄金バッテリー」で宿敵・堀内を倒す〜1969年5月10日】   [ アーチスト田淵  作 ]

◇甲子園(阪神2勝) 観衆:5万2千
巨 人000 000 000=0
阪 神000 004 00X=4
 勝:江夏 3勝1敗
 負:堀内 3勝2敗
 本:田淵4号(堀内)

<巨 人>   打 安 点 振 四     <阪 神>    打 安 点 振 四
(7)高  田 4 1 0 1 0     (6)藤田 平 4 4 2 0 0
(6)黒  江 3 0 0 0 1     (7)ゲインズ   3 0 0 2 1
(3) 王   4 1 0 2 0     (3)和  田   4 0 0 3 0
(5)長  嶋 4 2 0 1 0     (9)カークランド3 0 0 1 1
(9)末  次 3 0 0 1 1     (8)藤  井   4 2 0 0 0
(8)柴  田 4 0 0 1 0     (2)田  淵  4 1 2 1 0
(2)  森  1 0 0 0 1 (5)大  倉   3 1 0 1 1
H2 槌  田 2 1 0 1 0  (1)江  夏   4 0 0 1 0
(1)堀  内 2 0 0 2 0   (4)吉  田   4 1 0 1 0
 H   滝  1 0 0 0 0
1 田  中 0 0 0 0 0
H 相 羽 1 0 0 0 0
(4)土  井 2 1 0 1 2


     回   安 振 四 責           回   安 振 四 責
堀  内  6   8 7 3 4       江  夏 9   6 10 5 0
田  中 2  1 3 0 0


二塁打:高田、吉田、藤田平、長嶋   三塁打:藤田平   盗塁:阪神1(藤田平)
失策:巨人1(黒江)

*  *
 1968年秋のドラフト会議。山本浩司(注1)、星野仙一(注2)、有藤通世(注3)、東尾修(注4)ら大物新人がズラリと顔を揃える中で、法政大学の田淵幸一の動向は、ひときわ注目を集めていた。スマートな長身に甘いマスク、そして東京六大学で通算22HRというとてつもない記録をうち立てた打撃センス。人気と実力を兼ね備えたこの大学球界のスター捕手はしかし、熱烈な巨人志望で、「巨人以外のチームに指名されれば社会人に行く」と公言していた。
 ところが、ドラフト当日、田淵を指名したのは、なんと巨人のライバル球団である阪神。生粋の東京っ子である田淵は、縁もゆかりもない関西のチームの指名に、当初は強い拒否反応を示した。しかし、レベルの高いプロでプレーしたいという欲求を抑えることはできず、悩みぬいた末に入団を決意。背番号22の黄金ルーキーが誕生した。

 田淵は、オープン戦こそ結果が出なかったものの、公式戦に入ると、たちまちその実力を発揮する。プロ2試合目で早くも2打席連続HRを放ち、「6番キャッチャー」の定位置を確保すると、人気も沸騰。オールスターまでの前半戦で、阪神の1試合あたりの観客動員数は、前年の同時期と比べて実に56.5%も増加した(18,302人)。当時の新聞は、その熱狂ぶりを次のように描写している。

 「6番、キャッチャー、田淵」場内放送が先発メンバーを告げる。と、それだけで、拍手、歓声、口笛。場内が「ウワーン」とどよめく。…凡打、三振しても「ウワーン」とくる。お目当ての本塁打がとび出そうものなら、座ブトンが雨あられ。…
 甲子園球場から合宿まで、徒歩3分。それが、時に30分もかかる。1日に100回ぐらいサインする。少年ファンと、それから若い女性。…「田淵って、『巨人の星』の花形選手に似てる」と言って、若い女性ファンが目をうるませた。…

 一方、プロ3年目の江夏は、この年初めて開幕投手に抜擢され、名実ともに阪神のエースへの道を歩みつつあった。この試合は打線の援護なく0対1で惜敗したが、2度目の先発(4月19日、甲子園での中日戦)では初めて田淵とバッテリーを組み、12奪三振で完封勝利。田淵もこの試合で決勝の2ランHRを放った。22歳の田淵と、20歳の江夏。若い二人のコンビは、大きな期待を込めて「黄金バッテリー」と呼ばれるようになった。
 二人が初めて巨人と対峙したのは、4月23日。敵地・後楽園で行われたこの試合、田淵は4打数無安打だったが、江夏は巨人打線を2安打完封し、5対0と快勝した。そして、5月10日、黄金バッテリーが初めて本拠地・甲子園で巨人を迎え撃った。

 巨人の先発は堀内。江夏とは同じ年の生まれだが、プロでは1年先輩にあたる。ともに速球を武器とするエース同士で、互いに並々ならぬライバル意識を持っていた。ところが、両者はここまで3度先発で顔を合わせているが、江夏はまだ1勝もあげていなかった。

 1967年9月9日(甲子園)  神1−1巨 ともに延長11回を完投
 1968年7月31日(甲子園) 神0−3巨 堀内完封、江夏8回3失点で降板
      9月28日(後楽園) 神3−7巨 堀内3回、江夏5回で降板

 この日も江夏は巨人打線を寄せつけず、5回まで2安打無得点に抑える。しかし阪神打線も堀内を打ちあぐね、5回を終わって0対0。

 この頃、江夏は左肩に疲労性の筋肉痛を抱えていた。後楽園で巨人を完封してから先発ローテを外れ、2週間後の5月6日に戦列復帰したばかり。この日が復帰後初先発だった。
 痛む肩をかばいながら力投する江夏に応えたのは、「女房役」の田淵だった。6回、1死から藤井がヒットで出塁。ここで打席に入った田淵が、2−2から外角のストレートをフルスイングすると、打球はレフトスタンドへ飛び込む先制2ランHRとなった。熱狂する大観衆。田淵がダイヤモンドを一周する間に、興奮した一人のファンがグラウンドに飛び出し、ホームベース上で土下座をして田淵を出迎えた。阪神は、その後も藤田平、吉田の連続2塁打で2点を加える。
 4点の援護をもらった江夏は、8回1死2,3塁のピンチを吉田の好守で切り抜け、巨人戦通算7回目の完封勝利。初めて堀内に投げ勝った。

 ジャイアンツのユニフォームを見ると異常に燃えた男、田淵幸一。その巨人戦初HRは、宿敵を倒す値千金の一発だった。「江夏が投げ、田淵が打つ」―ファンの胸を熱くさせた黄金バッテリーは、「打倒巨人」に燃え、数々の名勝負を繰り広げていくことになる。

                *  *
(注1)山本浩司(のち浩二):法政大→広島(〜1986)。「ミスター赤ヘル」と呼ばれたカープの4番打者。通算2284試合に出場し、2339安打、打率.290、536本塁打、1475打点。MVP2回、首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回。
(注2)星野仙一:明治大→中日(〜1982)。闘志を前面に押し出した気迫の投球で、ドラゴンズのエースとして長く君臨した。巨人戦通算35勝は江夏と並んで歴代5位。通算500試合に登板、146勝121敗34セーブ。
(注3)有藤通世(のち道世):近畿大→東京、ロッテ(〜1986)。1969年のパ・リーグ新人王。攻走守3拍子揃った3塁手で、「ミスターオリオンズ」と呼ばれた。通算2063試合に出場、2057安打、打率.282、348本塁打、1061打点。
(注4)東尾修:箕島高→西鉄、太平洋、クラウン、西武(〜1988)。内角を突く強気の投球で「ケンカ投法」と異名をとった。身売りを繰り返すチームにあって、最後までライオンズ一筋で現役生活を全うした。通算697試合に登板、251勝247敗23セーブ。MVP・最多勝利各2回、最優秀防御率・最多奪三振各1回。

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