◇後楽園(巨人6勝5敗1分) 観衆:4万5千
阪 神000 001 402=7
巨 人000 000 030=3
勝:江 夏 9勝6敗
負:高橋 一 6勝4敗
本:カークランド5、6号(高橋一)、7号(田中)、遠井3号(高橋一)、土井4号(江夏)、末次8号(江夏)
<阪 神> 打 安 点 振 四 <巨 人> 打 安 点 振 四
(8)山 尾 2 0 0 1 1 (7)高 田 4 0 0 0 0
H8池 田 1 0 0 0 0 1 若 生 0 0 0 0 0
(6)野 田 4 1 0 0 0 6 黒 江 1 0 0 1 0
(4)安 藤 3 1 0 1 0 (4)土 井 4 2 1 0 1
4 鎌 田 1 1 0 0 0 (3) 王 2 0 0 0 2
(2)田 淵 4 0 0 1 0 (5)長 嶋 4 1 0 1 0
(7)バレンタイン3 0 0 2 1 (8)柴 田 4 2 0 1 0
3 和 田 0 0 0 0 0 (9)末 次 4 1 2 1 0
(3)遠 井 4 2 3 0 0 (6) 滝 4 0 0 1 0
R7佐 藤 0 0 0 0 0 1 田 中 0 0 0 0 0
(9)カークランド4 3 4 0 0 (2) 森 2 0 0 2 0
(5)大 倉 4 0 0 3 0 H2吉 田 2 0 0 1 0
(1)江 夏 4 0 0 3 0 (1)高橋 一 2 0 0 2 0
H7相 羽 2 2 0 0 0
回 安 振 四 責 回 安 振 四 責
江 夏 9 8 10 3 3 高橋 一 7 4 8 2 5
若 生 1 2 0 0 0
田 中 1 2 3 0 2
盗塁:阪神1(野田)、巨人1(柴田)
* *
1970年代の阪神は、左投手に苦手が多かった。松本幸行(中日)、安田猛、梶間健一(ともにヤクルト)と言えば、阪神打線にとっては「顔を見るのもイヤ」な投手。まるでVTRを見るような不甲斐ない敗北の繰り返しに、ファンは、怒りの矛先を、相手チームではなく阪神の選手に向けていたものだった。
巨人のV9時代、堀内恒夫との二枚看板で活躍した高橋一三。やや荒れ球気味ながら、右打者の内角いっぱいへの速球と外に逃げるスクリューボール、左打者の外へのスライダー、大きなカーブのコンビネーションを武器に、巨人−日本ハムの19年間で通算167勝をあげた左腕投手である。
阪神は、この背番号21にもよくヒネられた。1973年シーズンの最終戦、優勝をかけた直接対決で9対0と屈辱的な敗北を喫した試合を含めて、高橋一の阪神戦は、10年間で通算34勝(17敗)。これは、巨人の投手では江川卓に次ぐ歴代6位の数字であるが、高橋一の現役時代と言えば、斎藤雅樹(3位、40勝)や槇原寛己(4位、38勝)がカモっていた「暗黒時代のダメ虎」ではなく、まがりなりにも「万年2位のタイガース」と呼ばれていた時代であるから、その苦手ぶりは際だっていた。
特に、1969年から70年にかけては、なんと9連敗を喫している。この間の高橋一の阪神戦での登板内容は、以下の通り。
<1969年>
5月12日 甲子園 5対3 先発完投○9回6安打5三振2四死球 自責点3
6月4日 甲子園 4対4 救援完了 6回2/36安打7三振0四死球 自責点0
6月10日 後楽園 2対1 先発完投○9回5安打5三振3四死球 自責点1
7月15日 後楽園 9対3 先発完投○9回6安打9三振1四死球 自責点3
8月1日 甲子園 1対0 先発完封○9回5安打2三振2四死球 自責点0
8月12日 後楽園 7対4 先発完投○9回7安打10三振1四死球 自責点3
9月11日 後楽園 4対1 先発完投○9回6安打8三振4四死球 自責点1
9月21日 甲子園 6対2 先発完投○9回5安打5三振2四死球 自責点2
<1970年>
4月19日 甲子園 2対2 先発完投 11回6安打12三振6四死球 自責点1
5月12日 後楽園 4対6 先発 6回8安打4三振4四死球 自責点3
5月21日 甲子園 1対2 先発 5回5安打2三振2四死球 自責点0
6月9日 後楽園 4対2 先発完投○9回7安打9三振3四死球 自責点2
6月20日 甲子園 2対0 先発 ○5回5安打7三振2四死球 自責点0
7月14日。首位巨人と3位阪神、ゲーム差8で迎えた前半戦最後の3連戦の初戦は、やはり江夏−高橋一の先発で始まった。
江夏は、謹慎が明けてから初めての巨人戦。先月の甲子園2連戦に登板できなかった鬱憤を晴らすかのような好投で、巨人打線をゼロに抑える。しかし、味方打線がまたも高橋一の前に沈黙。5回まで一人の走者も出すことができない。
6回、阪神の先頭打者はカークランド。巨人戦に滅法強いパワーヒッターで、過去2年間で63HRのうち16本が巨人戦(うち後楽園で12本)、前年の8月には1イニング2HRも記録している。しかし、高橋一はまるで打てず、前年は33打席でわずか3安打。この年も、この打席まで10打数1安打と抑え込まれていた。
ところが、高橋一が投じた初球、アウトローを狙ったスラダーが真ん中に入る。カークランドはこの失投を逃さず、ライトスタンドへ叩き込む先制HR。安全パイのはずの打者に一発を浴びて完全試合を逃し、これで高橋一の調子が狂ってしまった。
7回、1死から安藤のヒットとバレンタインの死球で1,2塁とすると、遠井がインコース寄り高目のストレートをライトヘ3ランHR。続くカークランドも2打席連続でライトへ叩き込み、一発攻勢で高橋一をKOした。
8回、巨人は土井、末次のHRで3点をあげて追いすがるが、阪神は、9回、ヒットの遠井を一塁に置いて、カークランドが3打席連続となる2ランHRを放ち、とどめを刺した。身も心もウキウキのカークランドは、HRを打って守備位置につく度に、巨人ファンで埋まった1塁側とライトスタンドに向かってお辞儀をするパフォーマンス。
阪神ファンにとっては、久々に溜飲の下がる巨人戦となった。
ウイリー=カークランド。大リーグ9年間で通算148HRの実績を引っさげて、1967年に阪神に入団した左打ちの黒人選手。典型的なプル=ヒッターで、三振も多く、打率はせいぜい2割5分。本塁打数の割に打点の少ない打者だったが、田淵がHR打者としての素質を開花させるまで、阪神では唯一の長距離砲だった。
爪楊枝をいつも口にくわえてプレーする姿から、当時ヒットした時代劇の主人公にちなんで、「木枯らし紋次郎」というニックネームを頂戴した。メジャー仕込みのファンサービスも抜群で、個性的なキャラクターで愛されるタイガースの外国人選手らしい好人物だった。