【第8回:競いあう黄金バッテリー 江夏の快投と田淵の殊勲打〜1970年7月31日、8月1日】   [ アーチスト田淵  作 ]

◇7月31日 甲子園(7勝7敗1分) 観衆:3万8千
巨 人000 000 000 00=0
阪 神000 000 000 01x=1
 勝:江 夏 11勝7敗
 負:堀 内 10勝5敗

<巨  人>    打 安 点 振 四   <阪  神>   打 安 点 振 四
(7)高  田   5 0 0 1 0   (8)池  田   5 1 0 0 0
(4)土  井   5 0 0 1 0   (4)6安 藤   4 2 0 1 1
(3) 王     2 0 0 1 3   (7)バレンタイン3 0 0 0 1
(5)長  嶋   5 0 0 3 0    R7佐 藤    0 0 0 0 1
(8)柴  田 4 0 0 1 0   (3)遠  井   5 1 0 1 0
(6)黒  江   3 1 0 0 1   (2)田  淵   5 2 1 1 0
(9)末  次   2 0 0 0 0   (9)カークランド4 0 0 1 0
H 相  羽 1 0 0 0 0   (6)野  田   3 1 0 0 0
9 柳  田 0 0 0 0 0 4 鎌  田 1 0 0 0 0
(2) 森   2 0 0 1 1   (5)大  倉 2 0 0 0 0
H  滝  1 0 0 0 0    H 藤田 平  1 0 0 0 0
2 吉  田 0 0 0 0 0 5 後 藤   1 0 0 0 0
(1)堀  内 3 0 0 1 0    (1)江  夏   4 1 0 2 0

     回  安 振 四 責             回  安 振 四 責
堀 内 102/3 8 6 3 1        江  夏  11  1 9 5 0

二塁打:江夏、安藤  失策:巨人1(長嶋) 阪神1(野田)



◇8月1日 甲子園(阪神8勝7敗1分) 観衆:5万2千
巨 人000 020 000=2
阪 神000 020 02X=4
 勝:若 生 6勝7敗
 負:渡 辺 13勝4敗

<巨  人>    打 安 点 振 四   <阪  神>   打 安 点 振 四
(7)高  田   4 2 0 0 0   (8)山  尾   2 0 0 0 1
(4)土  井   3 1 0 1 1    1 若  生 1 0 0 1 0
(5)長  嶋   4 1 1 0 0 (4)6安 藤   1 0 0 0 1
(3) 王     3 1 1 0 1    H 藤 井   0 0 1 0 0
(8)柴  田 4 1 0 1 0    4 江  田   1 1 0 0 0
(2) 森   3 0 0 0 0 (7)バレンタイン4 0 0 0 0
(9)柳  田   3 0 0 1 0 3 和  田 0 0 0 0 0
 H  滝  1 0 0 0 0 (3)遠  井   3 2 0 1 1
(1)渡  辺 3 0 0 1 0 R7佐 藤 0 0 0 0 0
1 山  内 0 0 0 0 0 (2)田  淵   4 1 1 0 0
 H 萩  原 1 0 0 0 0 (9)カークランド3 1 0 1 1
(6)黒  江   4 1 0 0 0   (6)野  田   1 0 0 1 0
                     46鎌 田   2 2 1 0 0
       (5)大  倉 1 0 0 0 0
                     H 藤田 平  1 1 0 0 0
                 R5後 藤   1 0 0 0 0
                   (1)村  山   1 0 0 0 0
                     H 池  田   2 1 1 0 0

     回  安 振 四 責             回  安 振 四 責
堀 内 71/3 9 4 4 4        村  山  5  7 3 2 2
山 内 2/3 0 0 0 0 若 生 4 0 1 0 0

二塁打:江田  盗塁:巨人1(柴田)

                   *  *
 江夏豊と田淵幸一。「黄金バッテリー」として一時代を築いた2人であるが、そのキャラクターは実に対照的であった。
 プロでは2年先輩にあたる江夏は、地元・大阪の高校出身。向こう気の強さは入団当初から定評があり、後には、タイガースを愛する熱い心から、首脳陣やフロントとも衝突するようになる。そういった自己主張の強さは、表現の不器用さも手伝って、ともすればチームの和を乱すアウトロー的な存在とみられることが多かった。
 一方の田淵は、東京で生まれ育ち、東京六大学で活躍して阪神に入団した。江夏とは反対に、闘志を内に秘めるタイプで温厚な性格、端整なマスクも相まって、常に「優等生」的なイメージがついて回っていた。
 同世代でキャラクターが対照的な選手が2人、チームの中心として活躍する。このような時、タイガースでは、必ずと言っていいほど「両雄並び立たず」の図式が作られてきた。古くは藤村富美男と別当薫、村山実と小山正明、吉田義男。記憶に新しいところでは掛布雅之と岡田彰布…それは、阪神タイガースというチームにおける一つの「伝統」でもあった。

 江夏と田淵の関係についても、口さがないマスコミが「不仲説」を流すことがあった。
しかし、それについては、江夏が否定している。「試合の時に言い争いをしたことはある。お互いプロだから、主張もある。しかし、プライベートで田淵と喧嘩したことなど一度もない。」
 ともにプライドが高い2人だけに、個性と個性が衝突することもあった。しかし、それは、チームを強くしたいと願う純粋な気持ちと、互いを刺激しあう対抗心のぶつかり合いであり、派閥争いのようなドロドロとした人間関係とは無縁のものであった。
                   *   *
 「死のロード」出発前の最後の甲子園。首位巨人から7ゲーム離された3位の阪神としては、何としてでもこの3連戦は勝ち越し、あわよくば3連勝で差を縮め、ロードに弾みをつけたい。村山監督は、中2日ながら江夏を第1戦の先発に指名。対する巨人は、ここまでオール完投(うち完封1)で4連勝と阪神戦に強い堀内を立て、このシーズン初めて、江夏と堀内の投げ合いが実現した。
 この日の江夏は、シーズン最高の投球内容だった。球速豊かなストレートがコーナーに決まり、変化球のキレも抜群。7回1死まで巨人打線をノーヒットに抑え、8回に失策と四球で招いたこの日唯一のピンチ(2死1、2塁)でも、長嶋を三振に切ってとる。一方の堀内も、走者は出すものの要所を締めて得点を許さず、エース対決らしい緊迫した投手戦は、0対0のまま延長戦に突入した。

 11回裏、阪神は1死から当たっている安藤がライト線を破る2塁打で出塁、サヨナラのチャンスをつかむ。佐藤敬遠の後、4番の遠井はセンターフライに倒れて2死となり、田淵に打順が回ってきた。
 この打席のことを、田淵は今でもよく覚えているという。このシーズン、ここまで堀内に18打数2安打と抑え込まれていたが、何としてもここで試合を決めてやると念じて打席に入る。「巨人戦で活躍すれば、新聞の1面だからね。…『このままだったら江夏が1面。それを奪うには、オレが打ってサヨナラするしかない』と思って、本当に打った。」
 田淵の強い意思がバットに乗り移ったのか、2−3からのカーブをスイングしかけてバットを止めると、ボールはバットに当たり、ファーストの王の頭上をフワリと越すテキサスヒットになった。2塁走者の安藤は、投球と同時にスタートを切っていたので、一気にホームイン。田淵のプロ入り初となる幸運なサヨナラ打で、阪神が1勝をあげた。
                   *  *
 第2戦、阪神は村山が先発マウンドに立つ。0対0で迎えた5回、巨人は、黒江のバントヒットを足がかりに村山を攻略、長嶋と王の連続タイムリーで2点を先制する。
 しかし、阪神もそのウラにすぐ反撃。無死から鎌田、藤田平の連続ヒットでチャンスを作ると、村山監督は自分の打順に代打の切り札・池田を投入、早くも勝負に出る。この策がズバリ的中し、池田はセンター前へのタイムリーヒットで1点を返した。1死後、2,3塁の場面で安藤に打順が回ると、アンダースローの渡辺に対して、左の代打・藤井を送る。藤井もベンチの期待に応えてセンターへ犠牲フライを放ち、2対2の同点に追いついた。

 この日の村山監督は、打つ手打つ手が面白いように的中する。村山の後を継いだ若生は、巨人打線をまったく寄せつけず、4回をパーフェクトリリーフ。8回には、安藤に代わって2塁の守備についていた無名の江田が、1死からレフト線への2塁打で口火を切る。チーム全体に勝利に対する強い意欲がみなぎり、それはまるで、村山の気迫が選手たちに乗り移ったかのようだ…と、この日の新聞は伝えている。
 1死2塁から遠井が敬遠で歩かされ、打席には前日にサヨナラ安打を打っている田淵が入った。「目の前で遠井さんが敬遠されたのを見てカッと燃えた」田淵は、初球をレフト前に弾き返す勝ち越しタイムリーで3対2。さらに1死満塁から鎌田がスクイズを決めてリードを広げ、勝負を決めた。
                   *  *
 江夏が投げ、田淵が打つ。「黄金バッテリー」は、味方の中で勝負をしていた。それが当時のタイガースの強さであった…と田淵は述懐する。「チームの『輪』なんていうアマチュア的なものじゃなく、己の力を出して、それが自然とまとまっていく―それがプロだという意識が、阪神タイガースのカラーだった。」

 個性豊かな選手が競い合うことで強くなったチーム。ともすればまとまりを欠き、脆いところもあった。それがV9を達成した巨人との決定的な違いであったとも言える。しかし、そんなタイガースに、あの時代のファンはどうしようもなく惹かれていた。
 ザトペック投法の村山、江夏の奪三振ショー、田淵の芸術的アーチ、藤田平の広角打法、上田次郎のサブマリン投法、カークランドの怪力、遠井と池田の渋く勝負強いバッティング…あの時代、ファンは、選手一人一人に自分の理想とする「タイガース」を投影し、喜怒哀楽を共にすることができた。
 ちびっ子ファンは、銭湯に行くと、真っ先に、好きな選手の背番号と同じゲタ箱をキープした。そして、贔屓の選手が引退やトレードでユニフォームを脱ぐと、涙を流して慨嘆し、時には冷酷な球団を恨んだりしたものだった。

 時は流れて、2004年。ドラフトの逆指名やFA移籍で、選手が所属する球団を自由に選択できる時代になり、かつてのような「○○一筋」という選手がめっきり少なくなった。「個性」的な職人肌の選手が少なくなる一方で、選手の「個人主義」が指摘されている。

 こういう時代だからこそ、余計にわれわれは、1970年代のタイガースに郷愁を感じてしまうのかも知れない。
 個性あふれる男たちが、チームの勝利のために青春を捧げていたあの頃のタイガースに。

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