「美紀!」 オレは家に飛び込んだ。 「なんやの、やかましなあ。家に帰ってくるときぐらい静かにしいな」 拍子抜けするぐらい無事だった。 電話はなかったか、誰か訪ねてこなかったか、へんな女がうろついてないか。オレは矢継ぎ早に女房に質問を浴びせた。 「なんもないで。なにをそんなんよ、焦ってんのよ」
オレはことの事情を全部美紀に話した。 「だからおまえ逃げろ、春樹連れて」 「そんなんいうたって、春樹は学校あんで」 どこまでのんきなヤツなんだこいつは、学校と命とどっちが大事だ。 「ああ、もう! ちょっと待て」 オレは電話に手を延ばした。オカマのタロちゃんならなんとかしてくれるはずだ。 「タロちゃん? オレだ」 「あらあ、ショウちゃんじゃない。もう、お見限りねぇ」 「ちょっとタロちゃんを女男と見込んでたのみがあるんだけどなあ。ウチのみーちゃんはーちゃん匿ってくんねぇか」 タロちゃんにも事情を全部はなした。 「よろしおす、そういうことなら任しとき」 「恩にきるわ」 「いざとなりゃぶちのめしゃいいのね」 「そうそう、元D大ラグビー部フランカーのブチかましをいっちょ頼むわ」 「はーい」 「1週間でケリはつくと思うんだ。すんだらもうタロちゃんにいっぱいキスしてあげるから」 「きゃあ、それは楽しみやんかいさ。まかせといてよ、1週間ね」
とりあえず手はうった、オレは事務所に戻ることにした。 すれ違う女すれ違う女が全部あの女に見える。 ショーウインドウに映る自分の顔を見てみた。キリコには見せられない顔だった。 「いるかい」古本屋のヤジマの店に顔を出す。ちょっと落ち着かねばなるまい。 「ショウさん待ってましたよ。ええのが手に入ったんです。ほらこれ」 「『北の鉄人たち』? 新日鉄釜石の本? すげえなよく手に入ったねえ」 「昨日なんですけどね、一見さんなんですけど女の人が持ち込んだんですわ。これショウさん前から探したはったでしょ。こらすぐ連絡せんなんなあと」 「で、いくら?」 「15、000円」 「あ、ヤジマ、おまえそれ、冗談だろ。半額にしろ半額に」 「うーん、まあショウさんのことですからねぇ。考えますわ」
ヤジマの店を出て帰路につく。少しは落ち着いたようだ。 事務所に戻るとキリコがいた。表情が固かった。 「奥様、無事でした?」 「おかげさんで」 「ふーん。よかったね」 「なんだよ、そっけないな」 「別に。で、どうすることにしたん?」 「タロちゃんにしばらく匿ってもらうことにした。あいつならいざってときも頼りになるしな」 「タロちゃんってあのオカマ!?」 「そうイヤそうな顔すんなよ。義理人情に熱くてやたら体力のあるオカマなんてそうおらんぞ」 キリコが吹き出した。が、またすぐに元の固い表情になる。 「なんか、あったのか」他に聞きようがなかった。 「なんもないよ」 オレはまだ気づいていなかった。キリコが転びかけていたことに。
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