【6章】   [ GIRAS  作 ]

三宅は全てを悟っているような口調だった。刑事というものの特性なのか、いつも何かを疑っているような眼はオレを見据えてこう言った。
「ご主人、あなた自分が容疑者であるはずがないと思ってますね。」
そうだ。オレはメンソールの匂いに違和感を感じ、事務所を見回した・・・そして恐らく何かで殴られた・・その後の記憶は今にしか繋がってない。
「いえね、万に一つの可能性があるのなら、どんなものでも疑え。これ、ウチの上司の口癖なもんでね。気を悪くしてもらっても結構。これが私の仕事なもんで。」
この男の野太い声は、何を言っても不愉快にならないトーンをしている。頭の鈍痛も少しやわらいだ気がした。

「犯人の目星はついているんですか?」
オレがそう尋ねると三宅は顔の右だけでかすかに笑った。
「刑事の勘っていうのはね、犬の嗅覚よりも凄かったりするんですよ。特に血の匂いには敏感でね。そういう意味では鮫に近いのかも知れない。」
「で・・・誰なんです?どっちなんです?」
「どっち?おやおや勘違いしてもらっては困るな。ご主人も容疑者なんですよ。あなたは私の質問に答えればいい。」
オレは三宅の質問に細かく答えた。バーでの一件は三宅は知っているはずだが、時間の流れを整理したかったのか、また鈍痛が襲うほど詳細に聞かれた。その聴取は40分にもおよんだ。
「一つ聞いていいですか?」オレは三宅にどうしても聞きたい事があった。
「あの女は夫をすでに殺していたんですか?」
「・・・・・そうだな。あなたも頭が混乱している様なので、聴取も終わった事だし、ここで整理してあげようか」
「死体で発見された女、名前は『佐田美緒』。元精神外科医。夫は医師で外科医院を営んでいる。2週間前夫は山中で死体で発見される。地元の名士でもある彼の家族はマスコミに報道規制をし、この騒動を報道させないようにした。家族は美緒が殺したという事が分かっていたのだ。我々京都府警は家族の証言のもと内々に捜査を開始。横浜市内に潜伏との情報を得て内偵、そして本人と断定した。後は私はバーテンになりすまし、美緒の動向を監視していたという訳だ。そこへあなたがやって来て交換殺人を依頼された。つまり美緒は夫の殺人をあなたに覆い被せて、自分はあなたの奥さんを殺す。そして恐らく美緒はあなたも殺すつもりだったのでしょう。」
「オレを殺す?」
ますます頭が混乱してきた。恐らくオレを殴ったのはあの女だ。では何故あそこでオレを殺さなかったのだろう。

「両名の聴取終了しました」
三宅の部下がキリコと美紀の事情聴取が終わった事を告げた。三宅はメモを取りだし、部下の報告を冷静に書き写した。
「今からキリコさんを署に連行します。あなたと奥さんはもう結構です。」
「ど・・どういう事だ!キリコが何をしたんだ!」
「自白したんですよ。あの女を殺した事を・・・・・このままではあなたはさらに混乱するでしょうが自白の内容を今ここで言う訳にはいきません。」
オレは震えながらパトカーに乗せられるキリコを見守るしかなかった。組織として動く警察の前ではオレはただの小市民でしかなかった。キリコを守れなかった。美紀や春樹を守れなかった。タロちゃんを守れなかった。涙が止まらない。絶望という名の深淵にオレは落ちて行った。

三宅から府警への呼び出しがあったのはそれから2日後の事だった。リノリウムの床が新しいその建物の一室にオレは三宅と二人で入った。キリコについての話があるらしい。
「この事件の概略をご報告します。」そう言って三宅は煙草を消した。
「夫殺しで手配中の佐田美緒があなたに近づいた理由は分かりますね。あなたが夫を殺したように仕向ける事が目的だったのです。美緒は報道規制が敷かれていた為、夫の死体が発見された事を知らなかった。そして思いついたのが交換殺人。バーにいたあなたに近寄り、実際は奥さん思いのあなたを浮気性の男と判断。自分が奥さんを殺すので、貴方は自分の夫を殺してくれと懇願する。夫を殺してから2週間も経っているので美緒も相当焦っていたのだろう、返事を聞かないまま、あなたの自宅へと向かう。いや性格には向かう振りをする。それを聞いたあなたは急いで自宅へ戻る事になる。」
「自宅へ向かう振り・・・・?」
「そう、美緒はあの時自宅へは行っていない。あなたの家の近隣の地図を片手に電話していただけです。そして向かった先はあなたの事務所。そうキリコさんに会いに行ったのです。」
オレは詳細を話す三宅の顔を覗き込んだ。
「美緒はキリコさんの、内面を鋭く突く。元々精神外科医だった美緒は心理操作は簡単だったようです。時には耳元で囁き、時には罵声を浴びせ精神的に追い込む方法をとったようです。そして・・・・・」
「そして何なんですか」
「キリコさんにあなたを殺させようとした」
何て事だ!キリコはそこまであの短時間で追いつめられていたのか。オレは愕然としたと同時に自分の不甲斐なさに怒りさえ憶えた。
「洗脳という言葉をご存じですね。まさにそれです。相手を不憫に思い近づき、そして内面に潜り込む。あの短時間でそういう手法が取れるのだからかなり凄腕の精神外科医だったんでしょう。もちろんあなたを殺すのは、口封じの為です。事実、美緒のボストンバッグにはあなたが夫を殺したという事実を成立させようとしたものが数多く発見されました。ただ、自分が殺した事には出来ない。よってキリコさんに殺させようとした訳です。」
「洗脳完了まで後少しの所でキリコさんは正気に戻ったようです。激しく抵抗するキリコさんに美緒は鈍器で殴りかかる。それをかわしたキリコさんが持っていた鈍器を奪い取り、美緒の後頭部を殴った。これが事件の概略です。」
「キ・・キリコはどうなるんですか?」
「・・・・・・・安心してください。恐らく正当防衛が適用されます」

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