【最終章(前編)】   [ イングラム  作 ]

山科警察の留置場はとても寒かった。キリコに彼女の気に入っていた黒のグラウンドコートを差し入れると、面会室に向かった。
「信じて。わたしだれも殺しとらん。タロさんもあの女も」
「じゃなんで自供なんかしたんだ」
「怖かったんよ。お前がやったんやろ、お前がやったんやろって髪つかまれて。ショウさん、助けてよ」
「けどなあ、とりあえず状況は全部お前の方を向いてる。これだけはわかっておけ」
キリコはじっとオレを見据えた。
「疑っとるの?」
「違うよ、冷静にいまの状況を考えるとそういうことになるだけだ。オレだって捕まってないだけで容疑の対象にはなってるわけだ。毎日おまわりさんがいっぱいついてくんだぞ。動機はたっぷりあるしな」
「どうすんの」
「気になることはあるんだ」

気になることはあってもわかっていることはほとんどなかった。せいぜい美紀と春樹に危害が加わることはなくなったことぐらいだ。
タロちゃんの店に寄ることにしよう。考えてもわからんことはわからん。刑事がふたりついてきていた。

店はユーロビートに満ちていた。タロちゃんがいなくなっても何も変わってはいない。
オカマたちは華やかに歌い踊り、笑っていた。
「ショウちゃんじゃなあい」
チーママのユキエが店に入ったオレをめざとく見つけた。
「タロちゃんのことだけど……、申し訳ない、オレが頼ったばっかりに」
「いいのよ。タロだってショウちゃんの役に立てたんだったら幸せなんじゃない。会ってあげてくれる?」
「帰ってきてんの」
「さっきね。シホーカイボーっていうの? そんなことされちゃったから体はボロボロだけど」
タロちゃんは2階に安置されていた。安らかな顔だった。
「……、タロちゃん……、ごめんな、ほんとごめんな」
焼香しながら考えていた、タロちゃんを殺したやつについてだ。普通に考えれば美緒だ。しかしタロちゃんは180cmの身長と110kgの体重を誇る女丈夫だ。ただのデブではない、格闘球技・ラグビーの雄だったのだ。そんなの美緒に殺せるのか? バルザイの半月刀でももっているならともかく。
「ユキエちゃん、頼みがあるんだがな」
ユキエに2、3耳打ちをした。ユキエはわかった、エミやカトリーヌにも手伝ってもらうわ、と店に戻った。
3分後、店では大げんかが始まった。オレは窓をほんの少し開け外の様子をうかがった。人陰が動いた。
窓から屋根伝いに走り、飛び下りた。脳の中心までしびれた。
スポーツライターは本人もスポーツせにゃならんなとつくづく思いながら走りに走った。
刑事はまけた。

「ヤジ、すまん起きてくれ。ヤジ」
矢島が目をこすりながら出てきた。オレは中に入ると自分でドアを閉めた。
「なんか大変そうじゃないですか。キリコちゃん捕まったっていうし、タロは殺されたそうだし」
「ああ、オレもおまわりさん引き連れて大変だったんだ、さっきまで。ヤジ、悪いんだけどさあ」
机をひとつ借りた。考えを整理したかった。
成立しないはずの交換殺人。タロちゃんを殺したやつ。美緒を殺した理由。メンソールのタバコのにおい。
美緒の亭主は2週間も前に殺されている。にもかかわらずオレに交換殺人を持ちかけたということは、実行犯が別にいたはずだ。だとするとそいつと美緒との間に連絡が取れていないことになる。
その犯人にオレを仕立て上げるとして、タロちゃんを殺したのは美緒の亭主を殺したやつと同一人物か?
わかったようでわからん話だ。どだい美緒は横浜でオレは京都なのだ。接点がない。横浜と京都、オレ以外にふたつの街に現れたやつ。
三宅という刑事だった。

夜があけると美紀に連絡を入れた。
「どこにおんのよ」
「あー、まあ、とあるところとだけいっとくわ」
「わたし、アンタのそういうとこきらい。なんでも自分だけわかっとってよ」
「いや、なんにもわかっちゃないんだ、それが。たぶんこれからわかるの」
「キリコちゃん出て来れんの?」
「さあね、出てきてくれないとオレも困るんだが」
「ええなあ。愛されてて。もしわたしが捕まってもそう思ってくれる?」
「下らねぇこと聞くなよ。決まってんだろうが。とりあえずオレは無事、じゃあね」
愛しているといないとに関わらずキリコが必要になった。

陽が沈むと矢島のジムニー550を借りて山科警察に向かう。少々目立つが仕方がない。山科警察は田んぼの真ん中にある、車を止める位置の工夫のしようがない。名神高速の高架の北側、スズキの修理工場にこそっと止める。ジムニーでOKなのはそのためだ。
新京極で買い込んだおまわりの制服セットに着替え、堂々と正面から入る。
「お疲れさまっス」
と警官どもがすれ違う、オレもお疲れさまですと元気よく返事をする。もちろん心の中で「このマヌケ」と付け加えながら。
留置場に入った。
「お疲れさまです」当番の巡査に声をかける。
「おう。誰だ、見ない顔だな」
「はい、一昨日府警本部から異動になりました、美堂であります」
「で、なんだ」
「拘留中の朽木希里子の取り調べが始まりますので」
「ああ、そうか」
キリコは部屋の角で小さくうずくまっていた。看守に声をかけられると、オレの差し入れたグラウンドコートをはおって出てきた。
「それでは失礼します」敬礼して留置場を出た。
「おい待て」
はい? バレたか……。いっちょ暴れるか。
「お前、美堂とかいったな。なんというヘタな敬礼だ。敬礼はな」
指の先までピンと伸ばさなければいけないのだそうで。はい今度こういうことするときの参考にします。
正面玄関が近づいてきた。
「キリコ、走れるか?」
「え? あ」
「玄関前からダッシュだぞ、いいな」

正面玄関から突破を図りそのまま駐車場を抜け、田んぼ道を左に走る、最初の角を右そのまままっすぐ名神の高架を抜けると児童公園があって、その距離がざっと500mあった。車に飛び乗ってエンジンをかける。
カブリオーレタイプなのでお互い叫ぶようにしゃべらなくてはならなかった。
「これからどこいくの?」
「ジャンのとこ。お前さんにちょっとやってもらいたいことがあってな。だからGet Backersやったわけ」
「なにするの?」
「ハッカー、ハッキング、ちょっと侵入してもらいたいコンピュータがあってね」
ナウ・ウエストはまだ稼働中だった。

梶原女史と宮本嬢がいた。
「あら、ショウさん珍しいやん」
「あ、キリちゃんや。出てこれたん?」
「はいちょっとがんばって出てきました。ジャンは?」
「いつものとおり」
またサボッて遊びにいってやがる。きょうはそのほうが都合がいい。
「なあ、梶原ちゃん、そこの透けマック貸してよ。OSいくつ?」
「9.2。こっちの牛マックのほうがええですよ、X入れたばっかりやし」
「ありがとう、愛してるわ。キリコ、これな、調べてくれ」
キリコの顔が硬直した。そりゃそうだろう、なにせ京都府警本部のマザーコンピュータをハッキングしろというんだから。
「あ、おふたりさん。これからキリコが死ぬ気で働きますので、決して画面をのぞかないでください」
「なによ、夕鶴?」
「おいらのことは与ひょうと呼んでね。あはははは」

キリコは苦戦していた。オレはその間、事務所を閉められてはかなわないので宴会を開いて時間を稼いだ。
「あちゃ。またトラップか。えっとこいつのパスワードは……」
とキリコがやってる横で
「いやあ、やっぱ『ナウ・ウエスト』は梶原ちゃんと宮もっちゃんでもってるわあ」
「ジャンさんなんか『任せた』っていったっきりどっかいってまうもんなあ」
「そうそう。それが毎日なんですよぉ」
「あははは、もう、お互い大変ですなあ、あははははは」
などとやっているのは心苦しいものがあった。
「ショウさん、これでいいの?」
「どれどれ」
それは日報のファイル、調書のファイル、行動スケジュールのファイルなど、京都府警捜査一課のあらましがたいがいわかるものだった。
「キリコ、勝ったぞ」
横浜と京都がつながった。

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