【最終章(後編)】   [ イングラム  作 ]

オレはキリコを連れ自宅に戻ろうとした。数名の警官が入口を固めている。
玄関から堂々と入ろうとした。
「おいちょっと待て」
「はい?」
「いやあんたやのうて、女の方や」
「朽木がどうかしましたか? それより三宅さんいる?」
中にいるという。

「よ、春樹、元気だったか?」
「ああ、どこ行ってたんよ。お母さんめちゃくちゃ怒ってはんでぇ」
「ちょっとお友だちん家を転々と。ところでお前学校は?」
「このおじさんがな、ぼくらの命を狙ってるのがおるさかい行ったらあかんていわはんねん」
三宅刑事のことだった。
「ふーん。命を狙ってるのがおる、か。三宅刑事」
彼は一瞬刺すような目でこちらを見た。
「あの、アレやってみたいんですけどいいですか?『名探偵 みなを集めて さてといい』ってやつ」
「朽木希里子がなぜここにいるのか説明してくれるんならな」
「いやだなあ。キリコはわざわざ山科署が自分で牢屋のカギ開けて出してくれたんじゃないですか。おかげで仕事がはかどっちゃってはかどっちゃって。説明したいことは他にあるんです」
「へらず口はいいよ。で、なにを説明してくれるんだね」
「えー、これからいうことにはなにひとつ証拠がありません。なので話としてだけ聞いてください」
オレは緊張した。あ、さて、というのを忘れた。
「ことは4日前に遡ります。4日前……」
「あ、この宿六!」
「この宿六は、違う! ああもう、緊張感をそいだなお前」
外出していた美紀がおまわりさんをふたりも連れて戻ってきたのだった。
「なあ、この人らなんとかならんの? いつまでついて歩くつもりやの」
「もうちょっと、もうちょっとでなんとかなる、ような気がするんで黙っていてくれ。えーと、どこまで話したっけ」
「まだなんにも」
キリコが冷たく返事をした。オレは気を取り直して最初から話し始めた。

「4日前の夜、ぼくは横浜のバーで佐田美緒から交換殺人を持ちかけられました。彼女の亭主を殺すのと引き換えにウチのこの美紀を殺す、という話でした。取り引きなんてものじゃなかった、あれは脅迫というんです」
美紀が真顔になった。
「ところがこれ、おかしな話なんです。だって佐田美緒の亭主はその2週間も前に殺されてたんですから、ねえ、三宅さん。そういう話でしたね。これがわからない。自分で亭主を殺しておいて交換殺人もなにもない。仮にそれをぼくが受けたとしてもぼくには殺す相手がいませんから、彼女はぼくに対して何もアドバンテージを握れません。だからそもそも成立しない話なんです。じゃあなぜ美緒はぼくにそんな話を持ちかけたのか」
一瞬部屋が静まり返った。
「美緒は知らなかったんです。自分の亭主がすでに殺されていたことを。ところでここにひとり、登場しなければならないのにまだ登場していない人物がいる。美緒の愛人というやつです。愛人はまず、まあこれは『女房に手を出した出さん』という話がもつれた上での事故みたいなもんだったんでしょうが、美緒の亭主を殺してしまう」
オレは少し考えた。春樹のことだった。小学生に聞かせる話ではない。警官がひとり連れて出てくれた。

「この事件、全部美緒の愛人が描いた絵だとすると、とてもつじつまが合うんですよ。動機は愛人、美緒ですね、彼女が邪魔になったから。男で浮気をするやつって、なんだかんだで最終的には女房のところに戻るもんなんですよ。愛人のところにいったっきりになるやつってのは、よほど度胸が座ってるか、よっぽど女房がイヤなやつか、そんな場合ぐらいです。最終最後、どっちをとるかという話になれば邪魔になるのは愛人の方であるケースが圧倒的に多い」
キリコがはねるように体を硬直させてオレを見たことにオレは気がつかなかった。

「つまりね、美緒の亭主殺しと美緒の交換殺人計画はまったく関連なしに動いていたわけです、最初は。ところが、美緒がそんなことを始めちゃったものだから、犯人にとっては邪魔になった愛人に消えていただいた上にその罪を誰かにかぶせる千載一遇のチャンスになった」
「つまり最初から狙いは美緒だったということ?」とキリコ。
「そのとおり」
「じゃあ美緒はわたしに……」
キリコは美紀に視線をやった。美紀はわくわくした表情でオレを見ていた。あくまで呑気だった。
「あんなひどいこといって、あれはなんだったの?」
「なんだったもなにも、だから美緒は本気で交換殺人するつもりだったんだよ。そこへのこのこ戻ってきたオレは、美緒殺しのために潜んでいた犯人に殴り倒されたわけだ。わからんのはなあキリコ、お前なんだわ。本当ならお前一部始終見てたはずなんだよ」
「わたしは、美緒からいろんなこといわれて、わけわからんようになって、ショウさんが殴られたところまではなんとなく覚えてるけど、怖くて、その人の顔も見てなくて、気ぃ失ってたから」
「なにお前、ぶっ倒れてたの?」
悪かったねとキリコがふくれた。

「なあ、ほんでその愛人は誰なん、早よういいなや」と美紀がせかす。こいつ本気で楽しんでるな。
「さてその愛人、だからつまり犯人ですね、それは誰なのかということなんですが、これは」
とジャンのところからもらってきた封筒からプリントアウトの束を取り出した。
「ウチの優秀なアシスタント嬢が一生懸命あちこちに検索をかけて取り出したちょっと面白い資料です。ここ半年ぐらいですかなあ、京都府警本部のある刑事さんがやたら神奈川県警本部に出張したことになってる。ここ1週間でも3日行ってます。これどういうことなんでしょう。教えていただけます? 三宅刑事」
全員の視線が三宅刑事に集中した。
「だからいっただろう。佐田美緒が横浜市内に潜伏しているんで、動向を監視してたんだと」
「そりゃおかしい。それは変だ。あのねえ、警察庁のキャリアならともかく普通の警察官って地方公務員なんですよ」
「うそぉ! 国家公務員ちゃうの!?」美紀がすっとんきょうな声をあげる。
「ちゃうの。行動監視程度のことなら神奈川県警本部に依頼するのが普通です。そうでなければ県警本部の誰かが同行するはずなんです。セクト主義の塊みたいなところですからね、警察って。でもあなたは3日も張り付いてる。それだけじゃない、ここ半年で横浜出張が15回、となると非番の日なんてのも推して知るべしですなあ。あなたは監視に行ってたんじゃない、会いに行ってたんですよね。佐田美緒に」
オレはじっと三宅刑事を見据えていった。
「そう。その愛人というのは、三宅刑事。あなたです」

「大体ヘンだと思ったんですよ。タロちゃんに美紀と春樹を匿ってくれるよう頼んだことを知っていたのは、オレとタロちゃん本人、ここにいる三宅刑事と数人の警察関係者だけなんです。そのタロちゃんが瞬く間に殺された。どうも手回しがよすぎるんだ」
「最近のスポーツライターってのは殺人事件や痴情のもつれも取材するのかね」
三宅刑事はニヤニヤ笑いながらいった。
「あいにくどちらも景気が悪くて、いろんなこと取材しないといけないんですわ、これが。ところでこの話、面白いですか」
「ああ面白いね」
「あのタバコいただけます? ちょっと疲れた」
三宅刑事がタバコを取り出す。
「あ、やっぱりいいです。ぼくマールボロは赤いやつが好きなんで。あのほら中学のときいいませんでした?  ハッカタバコ吸うとインポになるって。迷信だとわかっていながらどうも心に引っ掛かってて。それにねぇ、メンソールのタバコ見るとどうも後頭部がうずいちゃって。なんででしょうね」
「さあね。で、話の続きは?」

「でだ。この間抜けなライターを殴り倒した三宅さんは、首尾よく美緒を殺し、美緒に追い詰められてボロボロになっていたアシスタント嬢を逮捕、その家族と本人を監視下においた。アシスタント嬢はいずれ留置場の中で自殺するはずだった。そして容疑者死亡のまま書類送検してしまえば真相は全部薮の中。どうです?」
キリコが息を呑んだ。
「自殺って」
「どうとでもなるだろうよ。なにせ誰もが入れる場所じゃあない、はずだし。お前、殺されるところだったんだよ。オレならそうするね」
三宅刑事はタバコに火をつけ、深く吸い込んだ。紫煙がたちのぼっていく。
「ぼくも美紀もキリコもタバコ喫らないんです。だからタバコの匂いにはちょっと敏感でしてね。美紀、どうだ」
「けむい」
「すまん。お前に聞いたのが間違いだった。キリコどうよこの匂い」
「あの日の匂い、これだと思う」

三宅刑事は動じたようでもなかった。
「とにかく証拠がないんじゃあ、話はただの話だ。面白かったがね。ルポライターなら状況証拠ばかり集めて『怪しい』と書けば仕事になるんだろうが、この世界、証拠がすべてでね」
部下のひとりが口を開く。
「三宅刑事に対する名誉毀損ということもあるで」
名誉だと、殺人犯の名誉だと。オレは瞬間にブチ切れた。
「名誉? じゃあタロの名誉はどうなるんだ。この野郎、オレの仲間、タロを虫ケラみてえに殺しやがって!動機はなんだ、タロを殺す理由なんかなかったはずだ!!」
キリコがつかまえてくれなかったら暴行傷害が加わるところだった。
「まあ話としてだが、あなたに対して圧力をかけるため、というのはどうかな。交換殺人説に説得力も出るしね」と三宅刑事は笑った。
「そんなことのために」
「殺人犯というのはつかまらないためにならなんだってするもんだよ」
「で、いまの話はどうだったんだよ」
「面白いね。でもウラづけが欲しいな」
「そんなことはアンタらの仕事だろう。なんのために安くもない税金払ってアンタたちを雇ってると思ってるんだ。働け! 公僕ども!!」

翌日、やっと警官は撤収し、事務所は静かになった。
どうせこれ以上調べたところで何も出やしないだろう。いや調べもしないはずだ。
あれだけ大勢の中でいった手前、キリコを再逮捕して留置場内で殺すわけにはいかない。
佐田美緒、オカマのタロちゃん殺人事件は迷宮入りになるだけだ。
「あーあ、イヤな渡世だなあ」
と昔の有名な映画のセリフをはいてみた。
PCの電源を入れるとメールが届いていた。キリコからだった。
メッセージはたった1行だけだった。
「わたしも、いつか邪魔になるの?」

《 完 》
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