【参話】   [ ザトペック主義  作 ]

━━ 昭和52年11月2日・国道345号線 ━━

結局、夕日を見るなら「笹川流れ」までいう老人の誘いで軽トラに乗り込むことになった。
国道345号線は日本海と羽越線の間を走っている。標識には【→山形25q】とある。

ふたりきりの旅に闖入者の登場は、後部座席の僕を少なからず不機嫌にさせていた。
それよりなにより東京の人だと思い込んでいた加奈子さんが、
お国訛りを駆使して運転席の老人と意気投合しているのも気に入らなかった。
わずかに1時間ほどの行程とのこと。不機嫌ついでに「降りる」といって加奈子さんを困らせようかとも思った。
結局、僕にそれをさせなかったのは改めて高校生のガキと思われたくないこともあったが、
道中、老人の木訥とした訛り語りで聞かされた瀬波の逸話が面白かったからだ。
何でも瀬波の砂浜は終戦直後、米軍の上陸で真っ黒に染まっていたらしい。
肺を患ったため兵役に就かなかった老人は、それを海岸を見下ろせる丘の上からボーと眺めていた。
進駐軍のトラックやジープが渡れるようにと村中が総出で狩り出され橋を補強したこと。
そしてそれを先頭に立って仕切っていた助役がやけに嬉しそうだったこと。
それでいて助役は密かに女房と娘を信州の山奥に隠していたものだから村中から総スカンを喰ったこと。
占領という現実に直面して上や下への大騒ぎとなった村の様子が想像できる。
戦火を逃れた地方では、むしろお祭りがやってきたくらいの感覚もあったのかも知れない。


━━ 昭和52年11月2日・笹川流れ ━━

「ふう、まんまと汽車賃浮かしちゃったね・・・・」笹川流れに着いたところで僕らは老人と別れた。
老人が別れ際に加奈子さんの顔を見つめていたのが少し気になっていた。
「結局、そういうこと。いろいろバレちゃったね。べつに隠しておくつもりはなかったんだけどな」

笹川流れは新潟の最北端にある景勝地。陸地から沖合にかけて延長11キロから大小様々な奇岩があり、
それらの間を盛り上がるように流れる潮流を、中心地笹川集落の名を冠して名付けられたという。
連休中にもかかわらず意外にも人気はまばらだった。夕日見物のカップルと親子連れが散見できるほどだ。
奇岩にはそれぞれ眼鏡岩、びょうぶ岩、ニタリ岩、恐竜岩、蓬莱山などの名称が付けられている。
残念ながら凪の海は本来の景観とは程遠いものだったが、波が荒れれば凄い光景になることは想像できた。
僕は加奈子さんに促されるまま、海へ突き出たような小高い岩を登り始めた。
道しるべには【筥堅八幡宮社叢80m】と書かれている。一体なんて読むのだろう。

「ゴメンね、こんなオバチャンに付き合わさせちゃって・・・ホントとんだことだよね」
「べつに・・・どうってことないじゃん」口に出た横浜弁が子供ぽくて軽く後悔が襲う。
さっきまでの加奈子さんのお国訛りとの違和感。急に加奈子さんと距離を感じる。
そうなのだ、この人と知り合って半年以上になるのだが、この人のことは殆ど知らないままだった。
飯田橋で働いていることと、年齢くらいなもの。いやそれだって別に確かめたわけではない。
下北沢のアパートに住んでいること、そこで加奈子さんを抱いたこと。それだけで十分な筈だった。
当たり前の話、加奈子さんは処女ではなかったが、今に至ってそんなことも気になり出す。
そもそも映画が好きなのは知っている。でもどんな性格の人なのかも知らない。
「おいおい、君ももっとラジカルに生きよ」なんて言われるままに会話は成り立ってきた。
いつも正体を明かしていたのは僕の方だった。
ヤクザ映画にトチ狂っていること、日活ロマンポルノに入れ揚げていること。
猪木プロレスと馬場プロレスとの相違点、スーちゃんがいかにランちゃんよりも魅力的であること。
江本が開幕投手をやっている間は阪神の優勝は厳しい・・・まぁ、これは鄭さんからの受け売り。
高校生であることの情けなさ。これが加奈子さんに幾ばくかの負担を与えているのであればもっと歳をとりたい!

「はこがたはちまんぐうしゃそう」と読むのだと加奈子さんは教えてくれた。
この社を越えて、眺める日本海は確かに絶景。笹川流れの奇岩を目前に見ながらも水平線まで見渡せる。
太陽はそろそろ沈む準備を始めたのか、色を次第にオレンジに染めつつあった。
「ああ、でも晴れてて良かったな、ここからの夕日みたかったんだぁ」
波が大きくなった。潮が満ちてきたのか、眼下で砕け散る波音がボリュームを上げる。
風も幾分か強くなりつつあり、その風が麓の土産物屋で流れてくる「越後瞽女唄」をかすかに聴かせる。

♪色は紫  身元は浅黄  しのぶ心は幾夜染め
なるはいやなり  思うなならん  とかくかなわぬ浮き世かな

「あれは佐渡島?」ほど近くに見える島を指さして聞いてみた。
「あんなに小っこいわけないでしょ、あれは粟島。青海苔が美味しいのよ、ちゃんと人も住んでるし、佐渡はもっと遠く、あ、ほら島影が見えてるでしょ、あそこに」
僕らは崖の先端まで近づいていた。申し訳程度に縄が引っ張ってあった。
「さっき、瀬波の沖で鉄塔が建っていたのを見てたでしょ。あれなんだと思う?」
「わからない」
「昔ね、あそこで石油を採掘してたの、子供の頃はそのてっぺんから火が噴き出していてね。」
「枯れたってわけ?でも石油が出てたなんて凄げえな」
「いつだったかなぁ、ある日を境に急に火が止まってね。あの不格好な鉄塔だけ残っちゃって・・・・」
連休にもかかわらず笹川流れは人出がまばらで、ましてこの筥堅八幡宮社叢とやらに登ってくる観光客はいなかった。
加奈子さんがまた黙りはじめた。今度はおかしな例えだが無言の圧力さえ感じる。
更に風が強くなり、呼応するように波もうねりをあげる。
「わたしね、本気でここで死のうって思ったことがあってね・・・・」
白い波しぶきが岩に砕ける。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・妹がいたのよ、もう5年たつんだけど、ここから落ちちゃってね・・・警察や消防の人たち大勢で探したんだけど、そのまま波にさらわれちゃって・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・わたしね、そんなに前に行ったら危ないっていったの、みっちゃんそこらで止まっときってね」
断崖絶壁という高さではなかったが、ごつごつしている岩が突き出ている。打ち所によってはひとたまりもない。
「ケンカしてたの、みっちゃんと・・・それでね仲直りしよって夕日見にいこって・・・わたしから言い出したの・・・」
涙声になっていた。もういたたまれない。
「加奈子さん浜に降りよう、ちょっと寒いし」
「こんな田舎に生まれ育って・・・あの鉄塔ねえ、あれが私の原風景だったのよね。結局。ほんとに恐いくらいに火を吹いてたのにね」
加奈子さんはいきなり僕の目を見る。ちょっと挑むような目。

「ねぇ、今ここで死んでみない?」
反射的に後ろ足に力が入り、断崖から目線をそらし加奈子さんを見る。
「ね、一緒に死のうよ」
これは今でも理解に苦しむのだが、僕は加奈子さんの言葉を受け入れてもいいかなと一瞬だけ考えてしまったのだ。
死ぬこと、運が良くて大怪我するであろうことへの恐怖、そんなものよりもこの人と気持ちが交差したことでの微妙な陶酔感。
そう、すべてが微妙だった。微妙な死への誘惑、微妙な生への未練、そして微妙な連帯からくる快楽。
その時、辺り一面が燃えあがった。夕日がその光を最大限に振り絞るように僕たちを照らし出した。
煌めいている波高に、オレンジ色の一筋の道。大海原に突然として道が拓けたのだ。
そしてその道は膨らんだ太陽へと波に歪みながら続いている。
背中に震えが走る。涙が出た。そしてその道から目を反らすことが出来なかった。
何かに見入られるというのはこういうことをいうのか。
「凄い・・・」僕は世界で一番に素っ頓狂な呟きをしてしまったのかも知れない。
そしてやっとの思いで加奈子さんを見る。もう加奈子さんは泣いていなかった。
ここで初めてお袋と親父の顔が浮かんだ。何故か永橋沙織も・・・。
「加奈子さん、ごめん。俺やっぱりもうちょっと生きてみる・・・。」
加奈子さんは半分以上は海に浸かった太陽を見つめながら頷いた。

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