━━ 昭和52年11月3日・瀬波海岸 ━━
「はい、これ渡すね。」 【村上→東京都区内】と記された切符。僕は手を出さない。 「いくらなんでもお墓参りくらいはしておかないとね」 加奈子さんは僕の手を掴んで切符を握らせる。 「それって、つきあったらダメなの?」手はまだ握り合っている。 「・・・・・・・・・・・・・・」 加奈子さんはぎこちなく笑いながら「ありがと、でもひとりで行きたいの」 「・・・・・・・・・・・・・・」 「キミの方こそひとりで帰れるのかな」 溜息をついて切符を受け取った僕。「かなわねぇなあ、まったく」 「それから、はいこれも」 サーモンの型をあしらったキーホルダーを目の前でぶら下げられた。 キャキャッという子供の嬌声が海岸から聞こえてくる。 こんなに早く別れがやってくるとは思っても見なかった。 しかし、そんなことよりも、今ここでこの人をひとりにしておいて大丈夫なのか? 加奈子さんはそれを察したのか「わたしなら大丈夫。ここで別れましょ。・・・・しばらく旅を続けるから」 帰りの切符は1枚しか用意していなかったのか。 僕は精一杯この幕切れを受け入れなければならない。 ここに至ってもガキだとは思われたくない。 馬鹿だ。「別れ」というフレーズにギュッと胃を掴まれる。 「じゃね」絞り出すように言う。 「元気でね・・・・ごめんね。さ、そろそろバス来るよ」 僕はぎこちなく手を挙げ加奈子さんに背中を見せる。 その背中に---------------。 「ほんとうにごめん。・・・最後にいわせて・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・」 「妹じゃなくて・・・・亡くしたのはね・・・・・娘だったの」 「・・・・・・・・・・・・・・」 僕は背中を向けたまま、やっとの思いでいった、 「加奈子さん、ほんとに俺みたいな奴を誘ってくれてありがと・・・・」 妹でも娘でもいい、とにかく僕は未熟な人生の途上にある。“最後”という言葉の方がはるかに重い。 太陽に照らされていた砂浜の影は、こうしてふたつに離れていった。
━━ 昭和52年11月20日・相模川土手 ━━
放課後。制服を着たまま相模川の土手に寝そべって煙草を吹かしていた。 あかね雲が空でじっとしている。 加奈子さんと別れて2週間がたつ。 ポケットからキーホルダーを出してみる。 プラスチックのサーモンの型、まじまじと見ると顎のしゃくれ具合がリアルだったりもする。 一度、下北沢のアパートに行ってみた。人の気配はなかった。 「こら不良、ポケ〜としてんじゃないよ不良」 永橋沙織が鞄を僕の横に投げ出し、そのうえに腰掛けた。 「音もなく近づいて来んじゃねぇよ」 「だせ〜ビビリながら煙草吸ってんなよな、まったくもう、だせ〜」 永橋がチラッとキーホルダーを見る。ちょっと慌ててポケットにしまう。 「最近全然、元気ないね。中尾たちも心配してるよ。あいつ絶対女にフラれたんだぜって」 「あのな永橋、おめえでもさぁ、誰でもいいから男に抱かれたいって思うことある?」 「えっ」明らかに永橋は一瞬のうちに緊張たようだ。 「なによそれ」 「だから聞いてんじゃん」 「わかんないよそんなこと」 「わかんねえか、やっぱガキだなおめぇは」 永橋の両肩を掴み押し倒す。足をばたつかせて暴れる永橋を押さえつけて唇を奪う。 永橋は目をつぶって大人しくなった。僕は髪をなでてやり顔を離す。 「やめてよ!ひどいよ・・・・」永橋の目は真っ赤だった。 「今度の最強タッグの開幕戦行くか?後楽園ホール」 「バカ!もう知らない!バカ」
━━ 昭和52年11月20日・自宅 ━━
家の玄関を開けると電話が鳴っていた。 「ち」と舌打ち。ったく誰もいねんなら鍵かけとけよ。 受話器をとる。鄭さんからだった。 「おい、テレビ見たか!読売やりやがったぞ!江川が記者会見やってる!」 「えっどういうことよ?」 「どうもこうも知るかいな、入団発表だってよ、テレビつけてみ!」 「いいわ、とにかく今からそっち行く!じゃ」 急いで制服から着替える。ポケットからキーホルダーが落ちた。 僕はそれを無造作に机の引き出しに放り込んだ。
四畳半青春の虎張り/心中越後情話 ◎完
《 完 》
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