【後編】   [ イングラム  作 ]

F写植とのつきあいはぼくが退職するまで2年間続いた。
ぼくの退職の日、簡単な送別会があった。
そこにオヤジもきてくれたのだった。
その二次会が開き、三次会がハネた。帰ろうとしたときオヤジに呼び止められた。
「もう一軒だけ行きましょうよ」

そば屋の屋台にいった。オヤジが焼酎の湯割りと天そばでいきましょうという。
「覚えてはりますか? 我々が打ち合わせにいった日のこと」
忘れるはずがなかった。オヤジのニヤッは怖かったのだ。この2年間、ふたりのうちどちらかが顔を出せばキャアキャアと女たちが騒いだ。そしてそのたびに「で、わかりました? 私たちの秘密」と聞かれるわけだ。
実はわかったような気がしていた。それからの2年間でいろいろな人に会い、オヤジとフジムラの関係に似たケースをいくつか見つけていたからだ。編集部ではすっかりホモが定着していた。
ぼくも「そうかな」と思ったことはあった。が、そんなものではないはずだった。もしそうならばこんなにしつこく「わかったか」などと聞くはずがない。あれはAD嬢の空騒ぎに乗っただけだった。

「もうちょくちょくはお会いできひんのですね。残念です。で、最後にもう1回だけ聞きますが、わかりました? 私とフジムラの関係」
「証拠がないので、失礼にあたるかも知れませんが、たぶんあたってると思います」
本当に勇気がいる一言だった。ひとつため息とも深呼吸ともいえない呼吸を入れていった。
「ご兄弟だったんですね。辺鐵成(ピョン・チョルソン)さん。たぶん弟さんは婿養子にいかれて」
「そう、フジムラを名乗ってるんです。そのとおり。なんでわかりました?」
「フジムラさんがあまりにも社長に従順でしたから。打ち合わせでも宴会でも、その後のおつきあいの中でも。お国ではそうなんですよね」
「そう年上のもののいうことは絶対です」
「それにあのときの声が」
「あひょんですか?」
「あれは、兄(ヒョン)なんですね」
オヤジは笑って、サムアップサインをした。

ぼくらはとりとめのない話をした。
しかし何度めかの湯割りを追加してグッと飲むと、オヤジはぼくを見据えた。凄みのある、想像はできたが目の当たりにするのは初めてのオヤジの表情があった。
「なんで2年もかかった?」
ぼくにはその問いかけの意味がわからなかった。
「キミな」オヤジはもう一口湯割りを飲むと、静かに押し殺したような声で話し出した。
「2年前のあの段階で、独立は考えとったはずや。オレはそう見てた。けどちっともその動きを見せん。おっかしいなあ思たんや。明日にでも辞表出しそうな雰囲気やったのにな」
ぼくは黙っていた。なにもいえるはずがない、そのとおりだったのだから。
「キミは賢い。物事よう見てるし、ただ見るだけやない、考えながら見よる。仕事自体はうまいやろうと思うわ。せやけどな、キミには致命的な欠点がある。なんや思う?」
…………。
オヤジはだんだん激してきていた。
「思いきりや。『なんやわからんけど、エエイッいったれや』いうような心意気や。オレがザイニチやいうこと、そこまで確実にわかっててなんでスッといわんのや? 外してケンカになってもええやんけ。そんなことでこっから先、ひとりでやっていけるんけ」
ぼくは天を仰いだ。そしてもう一度オヤジと視線を合わせた。
「これ、やるわ」
オヤジはポケットからとりだした「モノ」をぼくに握らせた。
「ええか、迷ったらソイツに頼め。ええか、考えんでええことまで考えなや。ソイツが決めてくれたらへんな柵(しがらみ)なんか振り払ったらええさかいな。がんばれ、小にくッたらしい若僧め!」
帰ろか、とオヤジは立ち上がった。ぼくも渡されたものを握ったまま見もせずに手ごとポケットに突っ込んだ。

別れ際にぼくはふと聞いてみた。
「ところで、なんであんなことしたんですか? 謎掛けするような」
ああ、あれはね、とオヤジは穏やかな顔に戻っていた。
「顔合わせのときのクイズね。あれを一発で看破されたのが悔しかったんですよ。バカでしょう」
お世話になりました、と挨拶をして帰るころには夜が明けかかっていた。
ポケットから出して、ひらいた手の上にはサイコロがあった。目は6だ。一気に行けってか。

それからしばらくオヤジにもフジムラにも会うことはなかった。
再会したのは1年半後、TV画面でのことだった。あまりうれしいものではなかった。
オヤジとフジムラの周りには数人の私服警官とおおぜいの制服警官がいっしょに映っていた。数年にも渡って金券を偽造していたという。
「長女の指示で……」とキャスターはいった。
オヤジに姉がいたことをそのとき初めて知った。
F写植のFが「ファミリー」の意味だったことも。

「ソイツが決めてくれたらへんな柵(しがらみ)なんか振り切ったらええさかいな」オヤジはあのときいった。
わからなければよかった。
理解できてしまうことが嫌だった。
そうすればただの出来事だった。「バカだねぇ」ですんだはずだった。
反面、結局いちばん肝心なことはなにひとつわかっていなかったことを、オヤジに申し訳なく思っていた。
あんなに励ましてくれたのに、あんなにわかってくれたのに。
ぼくがわかっているコトは、理解できたコトは、少しでもオヤジの救いになったんだろうか。

でもぼくは、あのサイコロを使ったことは、まだ一度もない。

《 完 》
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