【1話】   [ イングラム  作 ]

【1回表】
私はさっきでき上がったばかりのMOを手に編プロ「ナウ・ウエスト」に向かっていた。
4月にいまの事務所「県立地球防衛軍」で勤め始めて4カ月めに初めて取材をさせてもらった仕事だった。
しかし「ナウ・ウエスト」だって。ベタな名前だ。社長がイマニシというのだった。
こっちの社長、シュウさんも「県立地球防衛軍」だなんて趣味ムキ出しだが。
我ながらヘンな業界に飛び込んだものだ。

「ナウ・ウエスト」は小さな雑居ビルの5階にあった。
「やあ、お疲れさんやったね」
イマニシ社長は笑顔で迎えてくれた。
MOを渡す段になって私は急に緊張に襲われた。「なんやねんコレ」「使われへんわ」「やり直し」。そんなこといわれたらきっともうどうしていいかわからなくなる。いま自分のもってるいっぱいいっぱいで挙げた仕事なんだから。
イマニシ社長は原稿、写真の上がり、デザイン、レイアウトをいろいろチェックすると「はいOK」と笑った。「シュウさんのいうとおりやなカオリちゃんは。うまいもんや」。
一気に高まった緊張がいっぺんに取れた。ヘンな汗がいっぱい出た。
「ただし」え、なに。また緊張が。
「始めて3カ月にしては、の話やで。エエ筋しとぉるな、いうことや。特にデザインが」
安堵とともにまたヘンな汗がいっぱい。
DTPデザインは好きだった、というより取材原稿が苦手だった、文章はかなりのチェックを受けていた。もうやりたくねぇ、と泣きたいぐらい絞られたのだ。
「ありがとうございます。またよろしくお願いします」と帰ろうとすると。ああちょっと、と社長が呼び止めた。
「カオリちゃん、いま防衛軍でなんぼもうてる?」

帰る地下鉄の中でイマニシ社長の話を反芻していた。
いまデザインと営業事務、経理事務をやっているカジワラさんが来年3月に寿退職する。ついてはその両方ができる人が欲しい。私は経理もできる(シュウさんがそう自慢したらしい)。デザインの力も大体わかった。使えるからぜひ私に来てほしい。
提示された給料は、いまの私にとってちょっと魅力的な額だった。イマニシ社長は本気だった。
引き継ぎがあるうえに、ナウ・ウエストは1月決算なので、年内には話を決めて、正月明けから出社という運びにしたい。
考えさせてください、相談しなきゃいけない人もいますのでととりあえず答えておいとました。
いいかげんな返事はできない。私の人生に突然締め切りができた。

県立地球防衛軍は平和だった。
シュウさんは野球中継に目をやりながら、サッカーコラムを書いていた。器用な人だ。
ときどきこの人は多重人格者じゃないかと思うことがあった。
さっきまで冗談まじりにきょうの出来事を話していたかと思うと、ニュースで流れる事件に本気で怒ったりするのだ。自分になんか全然関係ないのに。

TVではタイガースがジャイアンツを叩きのめしていた。
きょうなら機嫌がいいかも知れない。
「シュウさん。ちょっと相談があるんだけど」
私はイマニシ社長にいわれたことを全部はなした。
「ね、いいかげんな返事もできんし、どうしようかと思って。どう思う?」
シュウさんはTVを切ると、じっと私を見据えた。少し悲しそうな顔で笑うといった。
「自分で決めろ」
飯食ってくるわ、カオリも上がりでいいよ、と出ていってしまった。予測していない反応だった。

【1回ウラ〜】
珍しくカオリが深刻な顔をしていた。
「シュウさん。ちょっと相談があるんだけど」
イマニシのところで聞かされた話を逐一話した。
「ジャンめ。やりやがったな」と思った。ジャンがカオリを気に入っていることは知っていた。いずれそういうだろうこともわかっていた。

カオリがウチに来ることになったのには、ちょっとした事情があった。
カオリはもともとぼくの勤める専門学校での教え子だった。メディアで働く希望をもった人に技術を仕込むことを目的とした学校だ。1年次は学年まとめての授業が多いが、2年次になるとそれぞれの指向性に合わせてクラスを選択する。
彼女はスポーツ雑誌、またはタウン情報誌を作るぼくのクラスを選択したひとりだった。ぼくにはどっちのノウハウもあった。

卒業すると学生はそれぞれに肩書きを身につける。なんとか株式会社営業部社員とか、かんとか編集部社員とか、ガキどもはそうしてなにがしかになるわけだった。
カオリはそれを拒否した。学校職員として残る道を選んだのだ。
この学校には、毎年卒業生の中から就職しなかった成績優秀者を、本人の希望があれば職員として残すという変な規定があった。ただしそれには期限がある。「1年を限度に」とその規定にはあった。
その1年を過ぎてもまだカオリは就職という道を選ぼうとしなかった。そして郷里の岡山に帰ることも望まなかった。
このミナギという少し珍しい苗字の女の子は、書道七段、商用英検1級、簿記の資格ももっている、漢字検定も受けていたはずだし、システムアドミニストレイターの資格ももっていたはずだ。
要するにとてもわかりやすい才媛なわけだった。
しかしただそれだけの娘でもあった。資格なんてカネみたいなもんだ。ためこんだところで使わなければなんの意味もない。

「ミナギなんですけどね」
と学科長のキウチから相談されたときにはもうそのつもりでいた。
ぼくはぼくで当時彼女に対して変にヒロイックになっていた。「コイツはオレがなんとかしなきゃな」。
別にそんな義務はない。
在学中にはもちろん「こいつらの将来には少なからずオレに責任がある」と思っていた。それはぼくのクセみたいなものだ。そう思わないと手を抜くのだ、ぼくというセンセーは。
しかし卒業させてしまえば師弟関係ではない。年の離れた社会人としての後輩ぐらいにしか思わないのがぼくという人間だった。
みんなが何者かになって行くなか、ミナギカオリは卒業式を境にひょいと浮き上がってしまったわけだった。
「オレんとこ、来てもいいぞ」というと一も二もなくカオリは来るといった。
それでぼくは、いってみればカオリを引き取ったわけだった。
行き場のない後輩を助けてやるつもりだった。

カオリが本当に困惑していることは表情を見ればわかった。
しかし、悩むポイントがズレていた。おまえ、その問題はオレも当事者のひとりなんだよ。オレに相談すること自体が間違いじゃないか。
ぼくは苦笑した。
これはカオリ本人が自分で決着をつけなければならない話だ。
彼女には考える時間が必要だった。
「自分で決めろ」
そういって事務所を出た。
TVのある飲み屋を探す必要があった。阪神-巨人戦のその後が気にかかっていた。
《つづく》

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