【2話】   [ イングラム  作 ]

【2回表】
どうしていいのかわからなかった。
シュウさんが私の先生だったころ、わからないことがあれば何でも相談に乗ってくれた。
課題のことはもちろん、友だち関係のこと、彼氏のこと、生活費の使い方、なんだってだ。
今度の話なぞ、自分だって当事者のはずだ。もっと親身になってくれて当たり前ではないか。
私が出ていってもいいのか。本当は私がいるのが嫌だったのか。
そんなことを考えながら部屋に帰った。

こういうときに部屋が真っ暗なのは気が滅入る。
これが岡山のウチだったらな。妹がふたりいてさ、きゃあきゃあ騒いでさ、お父さんが「うるさいっ」なんて怒鳴ってさ、だからよけいうるさくなるんだ。
都会ってのは放っといてくれる反面かまってほしいときにかまってくれない。
でも卒業してウチに帰るつもりはなかった。楽しい反面、田舎町はなんやかやとうるさいから。「結婚しろ」とかさ。しなかったら「ミナギさんとこのカオリちゃんは」って町中のウワサになるし、結婚したらしたでいうんだ「子どもはまだか」。そんなところに戻って行くのは嫌だった。わがままだな、私は。

ふたつある部屋のありったけの灯りをつけた。お風呂もトイレも玄関も、ありとあらゆる灯りをつけた。PCのスイッチも入れた。
専門学校時代の同級生だったナオちんから、とりとめのないメールが来ていた。
卒業して郷里の山口に帰った子だった。いまは絵本作家を目指して勉強中だ。
電話をしよう、そう思った。
メールじゃなく、声が聞きたかった。
幸いナオちんは部屋にいた。きょうあった一部始終を全部しゃべった。ナオちんは私に同情もしないかわりに私の話をさえぎることもなかった。
「なんか違うこと考えてるんじゃないの」全部はなし終わるとナオちんはいった。
「シュウセンってときどきそういうことする人やんか」
私たちは学生時代、彼の名前であるシュウヘイとセンセイをくっつけて“シュウセン”と呼んでいた。
ナオちんはクラスで一番シュウセンと仲がよかった。シュウセンのことは彼女が一番よく知ってるはずだった。
「なんかってなんよ?」
「わからん。ウチらには到底わからんようなこと」
ナオちんにもわからないなら、私にわからないのも仕方がないのかも知れない。

私はこの3カ月、ほとんどシュウさんと生活をともにしてきたようなものだった。
学校の外にいるシュウさんと接するのは初めてだった。
ヘンな人だ。およそものに頓着することのない人なのだ。
10cmも背の低い奥さんのトレーナーを平気で着るし、週末に大鍋いっぱい肉と野菜を煮込んで、きょうはカレーきょうはハヤシきょうはシチューと使い分けて「バリエーション豊富な食生活」とうそぶく。そうかと思えば1日3食そばばっかり1週間連続で食べててもへっちゃらだし、1日1食しかとらない日もある。ご飯は食べなくてもお酒は浴びるほど飲む。事務所の近くにやってくる中国黒龍江省からの引揚者の開く市場にお酒を持ち込んで、言葉も通じないのに真っ昼間から宴会を始める。それでいて「健康のために」タバコを吸わないのだ。
3カ月たってわかったことは「わからない」ということだったのかも知れない。
ナオちんのいうとおり「ウチらには到底わからんようなこと」を考えているのかも知れなかった。
でもそれを説明してほしかった。私がどうすればいいのか教えてほしかった。
だって私の先生じゃない。

【3回ウラ】
「やってくれるじゃんかよ」
翌日、ぼくはジャンに電話を入れた。
「なに、あの娘しゃべってもうたん?」
「しゃべるよ。知識は豊富でも世間知らずなんだから。どうしよう、ってオレに相談してきたよ」
「ははは、えらいこっちゃな。シュウさんはどう思てはんの」
「なんともいえんな。いつかこう来るとは思ってたけど、案外早かったな」
「こっちにも都合があっさかいな。ほんでシュウさん協力してくれんねやろな」
「なにを」
「カオリちゃんがウチに来てくれるように」
「するかバカ。自分で口説けよ。一生の仕事をどこでするかがかかってんだぞ。そうほいほいとあっち行けこっち行け言えるか。最後はカオリが自分で決めることだ」
「おおげさな。どうせ結婚までやろ」
「カオリがそういったのか?」
「いや、いわんけど大体そんなもんやろ。ほいで子どもが生まれてちょっと落ち着いたら、ライターとして復帰させてください、や」
ジャンのいうとおり、その手合いは多い。彼がそういう目でカオリを見ていてもなんら不思議ではなかった。
「いずれにせよ、本人次第だ。オレは行けとも行くなとも言わんよ」
しかしまあ、どいつもこいつも甘ったれてやがる。

【5回表】
イマニシ社長の誘いを受けて1ヵ月がたった。
「12月の中旬ぐらいまでに返事くれたらええしな」
イマニシ社長がいうので、ずっと考えていた。
シュウさんもなにもいわなかった。私が何もいわなければきっと何もいわないつもりだろう。
自分が雇った子がよそに引き抜かれようとしてるのに。私の人生がかかっているのに。

仕事は順調だった。シュウさんがもう長い間やっている「百科事典のパロディ」なんて仕事も少しだけさせてもらった。これはうまくいった。
「カオリもそうとう根性悪りィよな」とシュウさんはいった。
よほど性根が曲がってないとできない仕事なんだという。
「シュウさんほどじゃないよ」というと、まあな、といった。なにか含むところでもあるみたいだった。

その後もなにか考えるヒントが欲しくて手をかえ品をかえシュウさんに「どうしよう」と聞いてみた。
「自分で決めろ」それ以外の答えは何も返ってこなかった。
ほかのことだったら何でも細かい相談にのってくれたが、話がそこに及ぶと決まり文句のようにそういうのだった。私が一番助けてほしいことになんにも応えてくれないのだ。
フラストレーションはどんどんふくらんでいった。
《つづく》

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