【5回ウラ】 イシカワナオコからメールがきていた。クラスで一番ぼくになついてた子だった。 “シュウセン、カオリを助けて” ブルーのタイトル文字が目に入った。開けてみる。 “先月のことだけど”で始まった文章には、ぼくがカオリから進路相談を受けたのに「自分で決めろ」としかいわなかったことでカオリがずいぶん悩んでいる、なにか考えがあるならいってやるべきだ、このままではカオリがぼくに不信感をもってしまう、という主旨のことが切々と綴られていた。
カオリはときどきよそよそしい態度をとるようになっていた。 ナオコのいう不信感が顕在化してきたようだった。 そのくせときおりなにかいいたそうな顔をしてじっとこちらをみていることもあった。 いろいろいってやりたいことはあった。 カオリが学生だったころから数えればもう4年もつきあいがあるのだ。 キウチから相談を受けたときもそれがミナギカオリだから引き受けたようなものだった。 学生時代、学校職員時代の「ミナギ」の呼び方は、彼女が仕事上のパートナーとなった日から「カオリ」に変わった。 そのカオリが人生の岐路に立って悩んでいるのだから助言したいことなどヤマほどある。 カオリが普通の子ならば、だが。 彼女は普通の子ではなかった。だからぼくは黙っていなければならない。 しかしなんらかのヒントは必要かも知れなかった。
“カオリにはぜったい内緒の話” とタイトルをつけて返信した。 これで間違いなくナオコからカオリにぼくの考えが伝わるだろう。1ヵ月かからないはずだ。 しかも絶対にナオコがカオリにとって悪者にならないよう、適当に割愛して。 ナオコのメールとぼくの返信を消去しながらそう思っていた。 「我ながら、ヤなやつだなあ」 天井を見つめてつぶやいた。
【6回表】 きょうこそは答えを引き出すつもりだった。 イマニシさんから誘いを受けて、私が悩みに悩み続けてまた月が替わった。 タイガースの優勝が目前だった。最近のシュウさんはタイガースのゲームがある日には6時に事務所に帰ることを前提にスケジュールを立てていた。それも私の仕事だった。 「県立地球防衛軍」の仕事はタイガースの日程を中心に回っていた。 だから、タイガースのゲームのない日を狙って話をする必要があった。 幸い9月も中旬になると日程は飛び飛びだ。 きょうこそは。
「シュウさん」 いっしょに夕食をとり、片づけものが全部終わると私は声をかけた。 シュウさんはレギュラー仕事になっているサッカーコラムを書いていた。その原稿をもとにFMラジオで話をするのだ。 「あ、書きながらでいいから。あのさ、どうしても、どうしても教えてほしいんよ」 そして私は、この1カ月半近くイマニシ社長の誘いにどう対処していいのかわからないこと、お給料は魅力的だけれど突然のことだったのでどうしていいかわからないこと、シュウさんが「自分で決めろ」としかいってくれないから余計に困ってしまっていること、そしてナオちんのアドバイスについても話した。
一昨日の晩、ナオちんからメールをもらっていた。 “想像で悪いんだけど”と前置きをして、シュウさんは私のことをすごく心配してるんだろうといってくれていた。私はいろいろ力をもっているから、それを生かすためにはどうしたらいいのか一度考えてみるいい機会だと、それでいまのままがいいと私が思うのならそうシュウセンにいってみたらどうか。
「で、決めたのか」 シュウさんはモニタから目を離さずにいった。 「決まらぁん。決まらんよそんなん。なあ、だいたいなんで今回に限ってなんにもいってくれんのよ。いつもやったら『まず考え方はこうで』『こういう要素があって』『こう組み立てて』て、全部いってくれるやん」 シュウさんは全然モニタから目を離そうとはしなかった。 「大雑把すぎるんだよ」 え、なにが? 「カオリさあ、自分が今なにいってるかわかってるか」 穏やかな口調だった。でもシュウさんはまだモニタから目を切らない。 「ジャンからこないかって誘われたんだろ? で、それを受けてさ、カオリが自分は将来こうなりたいんだけど、ジャンとこに行ったらそれはかなうのかとかさ、ここに居続けた方が近道なのかとかさ、もうちょっと自分のつもりを交えて聞いてくれりゃあオレにも答えようはあるよ。けどお前がいってることってなに? 『ジャンから誘われました』『私はどうすればいいんでしょう』だよ」 でもまだ私には問題の本質がわかっていなかった。だって本当にどうしていいのかわからないのだ。 「いいのか? 自分の人生、オレなんかに丸投げしちゃって。おまえのいってることってそういうことだよ。私の人生全部決めてくれっていってるのとおんなじことなんだよ」 思いっきり殴られたような気がした。まるで考えてもみなかったことだった。 「ジャンの話はびっくりするようなことだったんだろうなあ。いつものカオリならそんなことぐらいわかるはずなんだがな」 そんなこといわれたって……。 シュウさんは結局一度も私を見てくれなかった。
【6回ウラ】 予測はしていた。いずれカオリが詰めてくる。 ぼくは毎週のラジオのためのサッカーコメントをどうするか考えていた。 ナオコからのメールがあったのだという。ここまでは織り込み済みだが、カオリの反応までは実は考えていなかった。その必要がなかった。こちらのつもりははっきりしていたからだ。 カオリにはぼくの「つもり」を想像してもらえばよかった。
カオリの考えはひとつも先に進んではいなかった。自分がいまどうするべきか、少なくとも考えるべきことがなにか、それが闇雲にわからないのだ。 もっと簡単にいえば「なにがわからないのかがわからない」ということだ。 「なぜわからないか」は簡単だ、彼女が自分で思考を停止しているから。 ぼくにはそこがどうにも理解しがたかった。 カオリならそこをちゃんと考えれば「なにがわからないか」ぐらいはわかるはずなのだ。 カオリはぼくにはない能力をたくさんもっている。資格もそのひとつだし、その資格を取る努力をすることもぼくにはない力だ。ぼくにはそんなこらえ性はない。 卒業高校だって県下随一といっていいほどの進学校だった。 彼女は、人間をスペックではかるならば、なにからなにまでぼくを上回っていた。 だからずっと、学校職員だったころから一年半、ずっとカオリを頼りにしていたのだ。 なぜこの子は考えようとしないのか、これがカオリに対する最大の疑問だった。 ひとまずここまでは考えろ。そういってぼくはカオリを帰した。
ぼくにはぼく自身の問題を解決する必要があった。 気がついてしまったのだった。 《まだつづく》
|