【7回表・無死無走者】 私はどうしたいんだろう、私はどうしたいんだろう、私はどうしたいんだろう。 シュウセンが好きだった。 専門学校に入学して最初の授業の担当がシュウセンだった。 男の子で態度の悪いのがいた。タケウチといった。通路をはさんで私の隣に座っていた。 タケウチはいちいち大声でシュウセンのいうことに逆らった。しかしそれをまたシュウセンが切り返すのだ。 怒りもせず、無視もせず、簡単にあしらっていた。 中学や高校の先生にはいないタイプの人だった。 授業が終わったあと、タケウチの横を通り過ぎながら低い声でボソッとシュウセンはいった。 「ちょっとツラ貸せ」 私はドキドキした。授業初日から乱闘騒ぎか、そんな思いがよぎった。 そのあとなにがあったかは知らなかった。 しかし次の週のシュウセンの授業から、タケウチはおとなしくなった。おとなしくなったどころではない、私語をする女の子に注意するのだ。もっともほかの先生の授業では相変わらず騒ぐし、注意するといってもそれは「うるせぇぞバカヤロウ」と怒鳴りつけるすばらしいやりかただったが。
シュウセンがなにをやったのかナオちんが教えてくれた。 「あれからふたりで一晩じゅう飲み歩いたんだって」 「は?」 「飲み歩いたっていうよりは先生がタケウチを引きずり回したらしいよ」 「はい?」 「ほとんど気を失いかけたタケウチに飲め飲めってお酒浴びせかけて、ふたりでナンバの映画館の前で寝てたらしいわ」 「……」 「目が醒めたら警察だったって」 私の常識の範疇にはない人だった。先生というのは思い通りにならない学生に怒るか、処分するか、他人事のように無視するか、どれかしかできない人たちだと思っていた。顔が見えないのが私にとっての先生だった。 シュウセンは挑発して勝負してあげくの果てに懐柔してしまったわけだった。 私の周りには絶対いなかった人種だった。 女の子の中には「絶対イヤ、あんなの」と拒絶する子もいたけれど、私はいっぺんに興味をひかれた。
【7回表・無死一塁】 私はずっとシュウセンを見ていた。 へんな授業だった。男の子8人の写真を回してホモを探せとか、『エヴァンゲリオン』を一本見せて気づいたことを全部書けとか、B全のドラえもんの絵をもってきて「このポスターにワンキャッチつけろ」とか。 全部に気づくべきポイントと落とし穴があった。そのネタばらしの時間が私は好きだった。あたった喜びもあれば裏切られる快感もあった。裏切られるほうが好きだった。観察と分析、視点の切り替え、シュウセンの教えてくれることは面白かった。シュウセンの授業だけは絶対に遅刻も欠席もしなかった。
学校行事にはあまり参加する人ではなかったが、毎年夏に行なわれるクラス合宿(修学旅行みたいなものだ)には依頼があったようで顔を出していた。その年は丹後の小さな海辺の町にいった。 私はナオちんといっしょにシュウセンについて歩いた。「なんなんだお前らはよぉ」といわれながら。 飛んでくるチョウの名前をことごとく説明してみせたり、「おお、計画性のない住宅建築」とヘンな造りのウチを見つけてゲラゲラ笑ったり、広告看板を眺めては「カンコー学生服の『カンコー』は『菅公』だったのか。菅原道真か。さもありなんだな」。また宿舎の前の小さな目抜き通りと住宅を見て「あら?」という。「相当強引な道路拡張をしたんだな」と。なになに、なんでそんなことわかるの? とナオちんが聞く。 「ドアがおかしいだろ」とシュウセンはいった。つまり本来なら家の中に使われるはずの薄い材質のドアが表についている、しかも位置が高すぎるというのだ。「あの家なんか1階の表に面した部分が障子張りじゃない。雨戸用の戸袋だけが新しいし。だからさ」と道に飛び出して「本来はこのあたりまでが家だったんだよ」と「道路を拡張するために家をぶったぎっちゃったんだ、きっと。そんな強引なことができたのは60年代か、80年代の終わりだろうな」というやいなや「こんにちわあ」と自分の考えが正しいかどうか確認するために、その家に入っていってご主人を引っ張り出してしまうのだ。 ご主人の話はシュウセンの予測通りだった。 「イシカワ、ミナギ、わかったか? いまのが取材っていうんだよ。見て、仮説を立てて、それを確認に行く。取材ってのは理科の実験といっしょだ。『仮説の検証』なんだよ」 私たちは「おお」と声をあげた。私たちだけの実演授業だ。ちょっとトクした気分だった。
夜になると学生、先生みんなで海辺に出てゲーム大会、花火大会があった。 シュウセンの姿が見えなかった。私は自分のゲームの出番の合間をぬってシュウセンを探した。 シュウセンはみんなが遊んでいるさまが一望できる小高い丘の上で、そのはしゃぎぶりを眺めながら焼酎を飲んでいた。先生、と声をかけるとシュウセンは「元気だねぇ、少年少女」と笑った。 「シュウセンは参加せんの?」と聞くと、空騒ぎは嫌いなんだといった。自由に遊ばせてくれればいいと、誰かから与えられる楽しみなんてまっぴらだと。オレはオレで勝手に楽しむ。さあ楽しめと誰かに手を広げられて、その手の中で遊ばされるのはゴメンだ、と笑いながらいった。 授業中に「学生時代、ぼくは劣等生だった」とシュウセンがいったことがあった。確かにヘソ曲がりの劣等生だ。きっといまもこの人は自分をそう思ってるにちがいない。 だからタケウチを懐柔できた、ううん、タケウチは懐柔されたんじゃない、折伏されたんだということと、その理由がわかったような気がした。ちょっとシュウセンのマネをしてみたらいろいろわかった気になった。それをシュウセンに話すと 「なるほど、折伏ね。ミナギは賢いなあ」と笑った。正解とも不正解ともいわなかった。ただ笑っていた。 でもやっぱりヘンな人だった。結論はいつも「私の理解の範疇にない人」になってしまう。それだけに興味があったし、この人が好きだった。 シュウセンの携帯が鳴った。ふた言みこと話すと私を振り返っていった。 「ミナギ、おまえ、キウチ先生から捜索願いが出てるぞ」 《まだまだつづく》
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