【7回表・無死一塁-2】 イライラしていた。タイガースはきょうも負けた。 優勝はテッパンで決まっている。なのに決め切れないもどかしさがあった。 カオリの件が、それに輪をかけた。 どうするのが一番いいかだけならすでに結論は出ているし、ぼくもそれでいいと思っている。 それは誰にとっていいことなのか? 無条件に喜ぶのはジャンだ。カオリにとっても絶対そうするほうがいいに決まっている、彼女の来し方を考えればそうするべきだとさえ思っていた。
考える習慣のない子だ。なにか課題があると、自分で自分に問いを立てる前に一足飛びに結論をほしがる子だ。だから人に頼る。カオリは甘ったれのお嬢だ。それはなにもカオリだけの問題ではない、10代20代ぐらいの連中にはこういう手合いが圧倒的に多い。カオリもそのなかのひとりというだけだ。 ただ彼女は突出した能力をもっていて、ぼくを選んでぼくのクラスに来てくれた子だった。 だからなんとかしてやりたかった。もったいなかったし、なによりもぼくは縁というものを大事にしたい人間だ。カオリがぼくのクラスを選んでくれたのも縁だ。あの子が考える習慣を身につければ、小さいながらもブレイクするはずだった。 ジャンの申し出が早かったと思ったのは、そこが解決されていないからだった。しかし違う意味でいえば、なにもぼくが仕込みきってから出す必要もない。出て行った先で気がつけばいいことでもあった。
ぼくはぼく自身のことをプライオリティの最下位においていた。 トップはもちろんカオリの将来だ。 しかしオレ自身はそれでいいのか。話が決まればカオリはいなくなるのだ。そうなったらオレはどうなる。 女性として愛しているわけではない。カオリはその対象に入ってこない人種だった。 確かにシュッと背の高いスレンダーボディの娘はタイプだし、アゴのラインがシャープな気の強そうな顔だちも好みなのだが、カオリをそういう目で見たことはなかった。改めて見れば「ああこの子、オレのタイプにハマる子だわ」と思っただけだった。 受け持ちの学生として先に内面に触れてしまったからだ。だからこの子の将来をどうしてくれようというのがぼくの課題だった。そしてそれはいまもそうだ。 しかし彼女の直近の将来が目に見えたとき、ぼくのなかにオレは本当にそれでいいのか、という考えがふと起きてしまったのだった。 感情まじりにいえば、カオリのためを考えないでいえば、それはイヤだった。 カオリがいてくれてぼくはずっと楽しかったし、いろいろ気がつくし、なんでもできる子だから楽だった。 ぼくはミナギカオリという人間を、その潜在的な、顕在化した要素をひっくるめて、いつのころからか、きっと彼女の学生時代からそうだったのだろう。 そう、ぼくはカオリという人間が好きだったのだ。 できれば手許においておきたかったのだ。 気づいてはいけないことに気づいてしまった。 もっともヨメは「よかったねえ。カオリちゃんのおかげでワタシも楽やわ」と明らかに勘違いして嫉妬していたのだが。 このままカオリがジャンを選べば、間違いなくぼくはしばらく心に穴を開けたまま生活をすることになるだろう。 本当にオレはそれでいいのか。ぼくのイライラはそこにあった。 結論はわかっているのに決め切れない。 ぼくはタイガースそのものになりつつあった。
【7回表・無死一・二塁】 決めなくちゃ。 もういいかげん決めなくちゃ、と私は寝ないで自分がどうするべきかを考えた。 「残ります」とシュウさんにいうつもりだった。 やっぱり私はシュウさんが好きだった。イマニシさんってなんか打算的でイヤだ。私を誘うときだっていきなり「なんぼもうてる」だもん。あの人あんなふうに生きてきたんだ。きっと仕事の話があったら最初に「なんぼくれる?」っていう人なんだ。 仕事ってお金ばっかりじゃないもんね。 シュウさんそんなこといわないもん。お金の話っていつだって最後だし、あとで「ギャラいくらだっけ?」っていう人だもん。それはそれで問題だけど。 シュウさん自分で決めろっていったし、私が自分で決めたんだ。 私は事務所に向かった。 いい朝だった。
【7回表・無死一・二塁-2】 「おはようございます」 と祝日なのにカオリが久々の明るい笑顔でやってきた。目の下にうっすらとクマができていた、寝てないのか。そいで気持ちに決着はつけたのか。 ぼくは先日突然起きた自分の優柔不断さに嫌悪感を覚えていた。ぼくも眠れなかった。 9月15日は秋晴れだった。 「きょうは、『エスメラルダ』の締めきりですからね。それから明日は学校だから授業の準備。試合開始前にあげちゃいましょうね」 タイガースのマジックは2にまで減っていた。 甲子園のカープ戦か。決めるならきょうだな。しかしそれまでに仕事二件片づけろってか、そりゃムリだわ。 「やる前にムリだと決めないっ。ね、シュウセン」 「はいはい」 やる前にムリだと決めるなというのは、カオリの学生時代にぼくがいつもいっていたことだった。
案の定プレイボールには間に合わなかった。伊良部のピッチングをぼくはほとんど見ていない。 きょうするべきことをあげ「しまいじゃあ。カオリ、どうなっとるんよ」といったとたんに片岡の同点ホームランが出た。NHKナンバー3の絶叫アナウンサーで、友だちの石川洋が本領を発揮していた。 カオリはわき目もふらずに料理に取り組んでいた。動きが軽かった。 なんでこんなに機嫌がいいんだ? ぼくにはきょうもうひとつやらなければならないことがあった。 《さらに番組はつづく》
|