【最終話】   [ イングラム  作 ]

【9回表】
追い出される。追い出されるんだ。私、ここを追い出されるんだ。
自分で決めろっていうから決めたのに。それを全部ひっくり返されるんだ。そんなのイヤだ。
またこわれるんだ。あのカップみたいにまた私の大事なものがこわれるんだ。
シュウさんは仕事部屋の真ん中に座っていた。ここはオレの場所だ。お前のものじゃないというようだった。

「カオリってさ、なんで大学行かなかったの?」
え? なんでそんなこと聞くの。
「興味なかったから。それに専門学校の方が直接技術を教われるし」
「本当にそうか」
本当のことをいったつもりだった。
「ウソだよ。カオリは競争がイヤだったんだよ。だから入試のない専門学校に入ったんだ。幸い興味のある方向だったしさ」
「で、2年間通ったわけだ、優秀な学生として。そりやそうだ、おまえ放っといたって学生としちゃ優秀なんだもん。普通にやってりゃよかったんだ。で、卒業の時期がやってくる」
あ。そこを攻めるの? それはいやだ。
「卒業の時期ってのは就職の時期なんだ。おまえはその道を選ばなかった。ただ学校の中でだけならおまえのプライドが満たされて、なおかつ就職という道も選ばなくて済む方法があったんだ、学校職員という道がね。ありゃ成績優秀な学生じゃないと採用してもらえないもんな」
いやだ。いやだいやだ、それはいわないで。
「でもそのパターンの職員には規定があるもんな。1年を限度にっていう。だからおまえ、オレんとこにきたんだ」
ちがう。ちがうよ、私は先生が好きで、だから。
「カオリ、オレに興味あったんだってな、ずっと。だからオレが声かけたの嬉しかったんだってな」
だから、だから、だから。先生。
「けど、おまえな、自分の知ってる世界にだけベッタリ甘えちゃいけないんだよ。おまえは、入試競争が嫌で大学にいかないで、就職競争、就職したあとの競争が嫌で学校の規定に逃げて、学校の規定から逃げらんなくなったからオレんとこ来たわけだ。競争だとか人に揉まれることだとか、そういうことをずっと避けてきたんだよな。おまえはそんでいいよ。けどさ、カオリも将来誰かいい男と結婚もしたいだろ、子どもだってほしいだろうよ。おまえこんなんで、おまえのかけがえのない子どもになにを教えてやれるんだ」
ひどいよ。グゥの音も出ないじゃない。どうしてわかっちゃうの。私に私の一番ダメなところを、一番見たくないところをどうして突きつけるの。
「シュウセンって呼んでいい?」やっとの思いで私はいった。
「いいよ」
「シュウセン、どうして息切れてるの?」
気になっていた。シュウセンがなにか一生懸命しゃべっている気がしたのだ。
私の大好きなシュウセンが、カッと目を開いた。ものすごい力で襟首をつかまれた。「なめとんのかお前は」学生時代から聞いたことのなかった怒鳴り声が耳に飛び込んだ。
「おまえいつまで逃げる気だ。いいたかねぇことさんざん言わせやがって。おらあなぁ、お前が好きで好きでしょうがねぇんだよ。おめぇがオレを好いてくれたようによぉ。なんとかしたくって、でもちっともなんともなってくれねぇからもどかしいんだよ。カオリ、頼むから自分で、人に甘ったれねぇで、一番いい道考えてくれよ。ジャンとこ行かねぇ、オレんとこでフラフラしててぇなら、どっちも辞めてス−パーやコンビニでレジでも打ってやがれ」
抱き締められた。息がつまるような力だった。それに反して静かな言葉が聞こえた。
「オレ、カオリといっしょにいられて嬉しかったんだよ。おまえいい子だから、できる子なんだから、頼むから、つぎのステップを踏んでくれ。ひどいこといってごめんな」
私は昼間デパ−トで見た子どもと同じだった。「もう、この子は。あかん子やなあ」と大好きな先生に抱き締められていたのだった。いいなあと思ったあの子とおんなじだった。
私も決意を覆さなければならなかった。
次々にいろんなものがこわされた。でも一番大事なものだけはこわさないでいてくれた。
だってシュウさん、私のこと好きだっていってくれたもん。一緒にいて嬉しかったっていってくれたもん。
私は年が明けたらイマニシさんのところへ移る。
了解の印に思い切り抱き返した。シュウセンはお父さんの匂いがした。
「どうしても、どうしてもダメだったら、そのときは、帰ってきてもいい?」
「そうならないようにしてくれ」

【After the Ball】
「カオリちゃん、ジャンさんとこ行くん?」
西京極のスタンドでライタ−仲間のユウキが声をかけてきた。京都パープルサンガは例によって降格争いを演じていた。成長のないチ−ムだ。
「誰に聞いたの?」
「ウチのイヅミ」
「イヅミちゃんは誰から聞いたの」
「マキちゃん」とアゴでピッチの方を指す。ゴ−ル裏で300mmのレンズを抱えたマキがポジション取りをしていた。ぼくは苦笑した。
「マキは誰から聞いたの」
「はは、知らないですよ。だれかはジャンさんかカオリちゃんから聞いたんでしょ」
そりゃそうだ。しかしつくづく京都ってのは人の多い田舎町だ。カオリがジャンに返事してからまだ3日だぞ。なんでこう噂の回りが早いんだ。
選手が入場してきた。歓声が起きた。
「シュウさん、でもよう決心しはりましたね。ぼくはイヅミに声かけられたときに『やめてくれ』ていいましたけどね」
「なにあいつ、イヅミちゃんにも声かけてたの?」
「一昨年やけどね。あの人、仕込むのはヘタやからね。よう他の事務所の子誘ってますよ。ぼく『小さな巨人』て呼んでますもん」
大笑いした。うまいこというもんだ。
「でもシュウさん、さびしないの? あの子、ようできるし、シュウさんめちゃめちゃかわいがってましたやん」
「さびしくねぇわけねぇじゃねぇか」
ぼくのはき捨てた返事は、松井大輔のシュ−トで起こった歓声にかき消された。
シュートはゴ−ルの上に外れていった。

《 完 》
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