【第2話〜片割れ〜】   [ 月ふたつ  作 ]

 享介はまた別の“視線”を感じていた。
 でも、もうどうでもいいという気持ちにもなっていた。
「優香の言ったとおりさ、力をコントロールできないハンパもの・・・そうさ優香は自分の目をコントロールできていた」
 優香は第3の目を持っていた。〜いや、第3の目は正確に言うと誰にもある。そう、今、ここを読んでいるあなた。アナタにも第3の目があるんだよ、探してご覧?〜

 優香はその第3の目の力を最大限使える能力を身に付けていた。
 だから、享介の追跡者として任務を負っていたのだ。

享介「もう、ここはどこか分からない。もうどこでもいい」
あてもなく、“視線”から逃れることも考えないままとにかく歩いた。とにかく走った。
もう誰ともかかわりたくない。
誰にも触れたくない。
「俺に触れれば、そいつは結局は死ぬ」

「チガウヨ」小さな声が耳元でした。
享介はあわてて振り返る。
いや、振り返ったのは人間としての条件反射かもしれない。
実際は声は後ろからはしなかった。

享介は観念したように目をつむった。
享介「ひとときだけでいい、“視線”のことは忘れたい」

どこだろう?
とにかく壁にもたれて、ズズズーと力無く地面に座り込んだ。
享介「もういい、誰でもいい、俺を好きなようにしろ」
声「キョウスケ、思い出せ、お前は追跡されている。しかしお前もまたアイツを追跡するためにやってきたんだろう?」その声がまた耳の中でしている。
享介「アイツを追跡? 誰だ??」
声「キョウスケ、忘れたか? なぜお前の力がそうなったのか」
享介「俺の力だと? そもそも、俺はなぜ、こんな・・・」

 頭の中に稲妻のように、4つのアルファベットが数限りなく並ぶ一覧表、やがてそれが、3つの小文字のアルファベットの固まりが続く長いヒモ、そしてDNAの二重らせん、太い塊のようになったX字の染色体、そんなものが頭に浮かんでは消えた。

 21世紀の大半はそれにかかるだろうと言われたヒトゲノムの解読が、予想をはるかに超えたスピードで解明されて何年たっただろうか。
 ヒトの欲求そのものは目的に向かってひたすらどん欲だ。どんな禁忌もヒト自身にはない。一方で人間は社会的な動物だ。社会を保とうとするあまりに、ヒト本来の欲求にすらタガをはめたがる。
 ヒトそのものの血が濃ければ、マッド・サイエンティストと呼ばれ
 人間社会でまっとうならば名誉ある科学者と呼ばれるのだろう。

声「キョウスケ、ボクがだれだか、わすれちまったんじゃないだろうな」
耳の中で声がする。
壁にもたれ目をつぶった享介の瞼の裏に走馬燈のように映像が流れて消えていく。
伸びきった前髪が目を隠すほどになっている。
それが、アイツを失って、享介が逃走を始めてからの時間を物語っている。
享介「思い出したよ。ここんとこ、ろくに食ってねぇし、頭がぼけてたさ」
声「キョウスケ、かっこつけんなよ。考えたくない現実から目を背けようとしてただけじゃないのか」
享介「うるさい!!」

 後ろの壁が消滅した。
 力が放たれてしまった。
 支えを失い、享介は仰向けに倒れた。

 都会にもこれぐらいの星は見える。
 大きなひしゃく型の星の列が目の前に見えている。

声(影)「キョウスケ、とにかく、<片割れ>を探せ、お前はラセミ体にもどらなければならない、分かってるだろう?」
享介「分かってる・・・でも、それはあるんだろうか?連中はもう俺のL体を処分したかもしれない」
声(影)「キョウスケ、それは・・・賭けさ。」
享介「賭け・・・か」
声(影)「ボクが影になってしまった・・・連中だってキョウスケの力は惜しい。処分するにはあまりにもキミは魅力的だ。だから必ず<片割れ>を持ってるさ。トランプだって予備の真っ白のカードがある。1枚たりなきゃそれを使うさ」

享介「影になったお前。俺の制御キーだったお前。俺のL体のお前・・・そうだったな」
 享介と合わせ鏡のような存在L体と一体になったラセミ体になって享介の力は制御可能になる。R体の享介がラセミ体に戻るためにはL体が必要だ。しかし、声だけしか持たない影となってしまったアイツ以外に、もう1体L体がいるのだろうか? 人の世に三つ子がいるように・・・享介らも双子ではなく三つ子だったなんて可能性はあるのか?
享介「でも、そんな確率なんて」
声(影)「キョウスケ、あきらめるな。奴らより先に探し出せ。恐らく奴らだって必死に探している。普通の人間として余剰受精卵を出してしまったのだ。やがて、ある時期が来れば帰巣コードが働くようにトリガーのコドンをすべての受精卵に埋め込んでいる。今はまだ普通の人間だ。すべてがそのトリガーで一斉に目覚め、俺たちと同じさ、人類を超えた存在となって、そして奴らのもくろんだ最終行動を取る。その前に、お前の<片割れ>を探し出せ。そうすれば、その力を制御できる。」

 今や影となり、声でしか存在できなくなってしまったのは享介のL体。
 R体とL体・・・高分子化合物を合成する過程で「ラセミ体」と呼ばれるペアが生まれる。片方がその化合物に期待した通りの作用を持つならば、もう片方がそれを打ち消す作用を持っている。ラセミ体の状態を保っていれば、特異的な性質は表に出てこない。しかし、もし片方にだけ反応を進ませることができれば、大量に片方だけ、つまり期待した特異的な性質を持つ化合物だけを作ることができる。
 21世紀初頭、ある日本人化学者がその研究で名誉ある賞を受賞したこともある。

 この応用を人間社会は工業製品の分野でのみ許した。
 その一方でヒトの欲求は、この応用をすべての分野に応用した。
 ヒトゲノムに携わった科学者は異口同音に口にした。
「この塩基配列の何と無駄の多いことよ。かなりの部分が使われないまま眠っている。もしフルにこれが稼働したら、人類はもっともっと素晴らしい能力に目覚めた現人類を超える存在になっていたはずなのに。ペアになって働くコドンのほとんどが、片方が片方の能力を打ち消している。ちょうど化学合成物のラセミ体のように」

 優香はGENEの優秀な製作品だった。
 人間が本来持っている第3の目の能力のフル活性化に成功した。
 人間はその額の皮膚の下に松果体(しょうかたい:消化でも消火でもありません)と呼ばれる器官を持っている。これは瞳とほぼ同じレンズになりうる構造を持っている。光を感じることができる。全く視力を失った人や外傷で眼球を摘出した人でも訓練で明るい暗いを感じることができるようになるのも、この松果体があるからだ。人の体内時計をつかさどる器官でもある。第3の目、いや、目になりそこなった器官だ。ここが目となる遺伝指令はあるのだが、別のコドンがその指令をストップさせていた。
 目となる遺伝指令をフルに活性化させると、その第3の目は思念波を増幅させる機能も持っていた。優香が目を見開くと、相手を手を使わずに爆発させることができる。
 優香の場合、第3の目の制御を2つのもともとある瞳がコントロールしていた。体の中にL体をR体を内臓していてバランスを取っている。GENEに言わせれば理想的な製品だった。

 享介にも能力を打ち消しているペアがいて、二人でいればラセミ体のように目立たぬ存在だった。
 しかし、享介自身が自分のペアの片割れを影にしてしまった。
もう、享介の能力は開放される一方で、制御不能となってしまった。
享介「目の前でアイツが消えていくのを見て、俺は逃げ出したんだ」

 享介の存在が明るみになってしまえば、人間社会は大パニックになってしまう。
 もし享介が「材料」としてどこかの組織に渡ってしまえば、GENEが独占していたものがその価値を失ってしまう。
 享介が人間社会に出てしまったことは、この科学者集団「GENE」にとっては、大失態だ。
 研究には膨大な資金がいる。資金は、人間社会の中のさる筋から投資されていた。
 その結果が勝手に漏れ出てしまえば、資金提供側の「社会的立場」が崩壊してしまう。
 自己矛盾をはらみながら、GENEは自分たちの作り出した製作品である優香たちを使って、制御不能になった享介の追跡を開始したのだ。

地面に仰向けに寝ころんだまま享介は考えた。
「GENEのヤツらが俺を見つける前に、俺がラセミ体に戻ればいい。もう一人のL体を探さなければならない。そいつが存在してるか、もういないのかも分かっていないのに・・・しかし、それしか俺の力を抑えるすべはない」
 享介を作るときに余った余剰受精卵。いくつかは人間社会の中で、その能力に気付かずに今日もどこかの屋根の下で安らかな眠りについているのだ。
 享介はなんとかGENEのデータから、自分の遺伝子上の「兄弟」といえる3人がこの日本の今いる町にいることを突き止めた。3人のうち唯一の男性、そいつこそが享介の求める<片割れ>なのだ。
 GENEも必死でその一人を捜しているはず。
 GENEの送り込んだチェイサー(追跡者)よりも、先に享介自身が<片割れ>を見つけ出さねばならない。
 決め手になるのは、享介がずっと感じている“視線”だ。
 大抵の場合は、GENEが送り込んでくるチェイサー(追跡者)たちからのものだ。彼らはすべて超能力者だからだ。だが、享介が感じる“視線”を<片割れ>も強く感じているはずだ。
 つまり、“視線”に悩まされている男の中に享介の<片割れ>が存在しているのだ。
 誰からの視線をも感じない、楽天的に生きているやつ、そんなやつは対象外になる。ただ、一般人の中にも、他人の視線を気にする性質のやつもいる。そんな中から本物の享介の<片割れ>を探さねばならない。


「追われる俺が、先に追う方となれと・・・影よ、お前はそういいたいんだろう? でも俺はそれまで、いったい、何人の命をこの力で奪ってしまうのだ。いっそ、俺自身にそれが使えたらいいのに」
「キョウスケ、もうとっくに試したんだろ? キミはキミ自身にその力は使えない。自殺は不可能なのさ。それも、キミを作るときに、コドンが埋め込まれているのさ。自殺防止プログラムってね。へへへ、今の警察が聞いたら喜びそうな名前だな」
「警察・・・そうだ・・・俺はあのときタイショーに触れてる。もし、警察が俺の存在に気付いたら・・・」
 享介は気付いた。
 今の警察は愚鈍かもしれないが、実はそんなに捨てたもんでもない

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 警視庁科学捜査研究所第1ラボ
 ここの主任は峰サオリ(35歳)。科捜研きっての精鋭と言われた女性である。
 アメリカのFBIで徹底的に学んだ医師資格も持つ優秀な科学者だ。
ここも警察組織の中というより、最先端の生命工学研究所としか思えない。
 耳元で軽くカールした髪、少し赤っぽい栗毛に染めている。
 普通女医は白衣の下にはなにもつけていないらしいと聞くが
 胸元には金色のネックレスの鎖が見える。
 噂では男知らずとか、なんとか酒の上で男どものたあいのない陰口が飛んでいるが、サオリの耳に入ってるのか入っていないのか。
 白衣に身を包んだサオリの前に、よれよれのカーキ色のジャケットを羽織った池内佐武郎刑事と、黒の革ジャンを羽織った細身の市瀬智之巡査が座っていた。

 ホームレスが炊き出しを受けていた市役所前の公衆トイレで見つかった首なし死体。その死体の状況はまるで頭部が内側から爆発したかのようにすさまじい飛び散り方をしていた。そのあまりのむごさと異常性に、警視庁は科捜研に徹底的な調査を依頼していた。
 それだけではない。その近くでマンションが1棟、跡形もなく住民もろとも消えた。こうなると警察官の出る幕でもないのだが。
 とにかく、まずは最初に起こった殺人事件から・・・所轄の人間としてはそれが精一杯だった。
 一通りの聞き込み捜査のあと、佐武やんと市は、科捜研に呼ばれていた。

通称佐武やんが大声を上げた。
「なんだって? おい、俺の聞き間違いか?」
隣の市やんが思わず彼の肩に手をやった
「声が大きいですよ!」
「てやんでぇ、こんな話が落ち着いて聞けんのか? 並みの神経の持ち主だろうが、てめぇも、今のこの先生の言葉聞こえたんだろ?」
「聞こえましたよ。俺だって、今、あんまりびっくりして言葉も出ません」
「だろう、なぁ」
佐武やんは、大きく頷いて市の肩をパーンと叩いた。
「ってぇ」
サオリ「もう一回言いましょうか?」
佐武やんは、大げさに手を振って言った。
「い、いや、そんな途方もない話、一回でええわ・・・先生、あ、いや、峰主任捜査官」
サオリはにこっと微笑んで言った。
「X−FILESじゃねぇって言いたいんでしょう?」

佐武やん、ぐっと言葉に詰まってしまう。
「いや、そんなもんまで引き合いに出すわけじゃねぇけど、ここはシャバだよ、シャバだ。現世だ」
「ぷっ」と市やんが吹き出す。
「ばかやろ、笑うとこか!」
「だって、現世って」
サオリ「分かりますよ、おっしゃりたいことは。つまり」
サオリ・佐武やん「SFじゃあるまいし」
「プーッククク」
「市!」
サオリ「まあ、笑っちゃうわよね、でも、とにかく」

もう一度、サオリは白衣の腰の当たりをきゅっと下に引いた。どうやらこれが彼女の癖らしい。胸元がすっと引き締まった。
市は少しだけ、彼女が笑ったとき、その胸元がわずかにゆるんで谷間が見えそうなのを思わず視線が追ってしまった自分を恥じた。

 彼女は市の視線に気付かない様子だ。もう一度真顔でいった。
「ガイシャ、通称タイショー、頭部はあんな状態で、なんと診断結果を書いていいものか、少々大学の法医学の医師と検討してみたいのですが、ともかく、内部から弾けたとしか言いようがありません。考えられることといえば、内部に爆薬でも仕掛けてあったのか。そうなるとでも外科手術の痕跡があるはずですが、それはもう検証不可能です。
 衣服、胴体、徹底的に精査いたしました。
 衣服にはガイシャのモノではない複数の髪の毛があり、それぞれ血液型、DNA鑑定をいたしました。恐らくは同僚?といえるのか? あの場にいたガイシャの顔なじみのホームレスのものだと推察されます。が、ここに問題が一つ」

 息を切って二人を見つめた。もう佐武やんも市も笑っていない。
 サオリは、小さな証拠物件77号とラベルのあるビニル袋を示した。

サオリ「これはタイショーの右手に握られていました。かなり脂ぎっていまして、微量ながら体液というか分泌物も付着しています。これが・・・何度も検査し、DNA鑑定を繰り返しましたが、同じ結果が出ました。これは現在存在している人間のDNAと一致しません。詳しい説明は省きますが、とにかく私が言えることは、これがSFでないのなら、この髪の毛の持ち主は、人間であって人類ではない。そうとしか言いようがありません。」

 さすがの佐武やんも市も言葉を失っていた。
 佐武やんは、丹念に聞き込みを行った結果、タイショーは、通称、ベンという若い男にかなり構っていたことが分かった。ベンについては、事件後姿をくらましている。
 ホームレス仲間が書いた似顔絵には、長く伸びた髪も描かれていた。
 ベンの寝ていた辺りもホームレス仲間の証言で捜査されようとしていた。ベンの使っていたものなどが押収できれば、この髪の毛とも照合できるだろう。
 もし、ベンが、この髪の毛の主と一致したとして、人間であろうが人類でない存在というのはどう解釈したらいいのだろう?

 長い3人の沈黙のあと、佐武やんがようやく口火を切った。
佐武やん「おれは「まっとうな」殺人犯を追ってるはずなんだぞ、SFなんてくそくらえだ!」
 市は佐武やんに頷きながら、さっきから熱を帯びた“視線”はサオリの襟から胸元にどうしても集中してしまった。体の動きに合わせて、ほんの少し、ほんの少し谷間が見えそうだ。
 サオリは見られることには慣れっこなのか、無頓着なのか。
 いっこうに気付かないようだ。
市「もう少し、もう少し下向いて、もう少し腕を動かして、ねぇ」
サオリがデータを見ながら何やら熱心に説明している。
しかしもう説明は市の耳を右から左に素通りしていった。
市の視線はすっかりサオリの胸元に釘付けとなっていた。
ふと、データを見ていたサオリが顔を上げた。
市と“視線”がかちあった。
思いもかけない瞬間・・・
「ドクゥン」市の中で何かが弾けた・・・

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