【第3話〜安息〜】   [ 京都の猛虎斑  作 ]

享介は突然、鮮明な“視線”を感じ飛び起きた。
都市の真ん中にある緑のオアシス。享介の視線の先にはウォーキングする老夫婦、その背景には青いビニールシートの「家」が点在していた。
どこをどう逃げ回ったのか、賑やかな場所をめざした享介の前にこの広大な公園が現れた。それは渡りに船だった。
この場所なら“視線”を特定出来る。来たヤツは殺る。そのつもりだった。
しかしこの場所は思いのほか快適だった。“視線”は遠くを彷徨い、無遠慮な通行人の視線も感じなかった。その安堵感は疲れ切った享介を深い眠りに誘ったのだ。

夢の中で享介は(影)と遊んでいた。
そこは無機質な白い空間だ。いや、享介の曖昧な記憶がそう思わせているのか?
靄のかかった空間に数人の子供たちが映っていた。子供たちは大きなブロックを積み上げたり、滑り台やジャングルジムで遊んでいた。白い空間に顔のない白い子供たち。しかし遊具だけはカラフルだった。
ひとりの子供が近づいてきた。目鼻のない口だけの男の子だ。それが(影)だと享介は理解していた。ふたりは他愛ない会話を楽しんでいた。(影)も目鼻のない顔で屈託なく笑っていた。
享介は突然、鮮明な“視線”を感じ飛び起きた。
“視線”は次第に近づいて来た。身構える享介の耳に幼い嬌声も近づいて来る。
ひときわ大きな樹に身を隠し嬌声の先に目を向けると、黄色い頭のヒヨコたちが赤いエプロンに導かれて歩いている。ヒヨコたちは手を繋いだふたり一組でいくつかの列を作っていた。
先生を含めた11人。その中に“視線”の主は居るようだった。

享介は緊張から解放された。以前にも、覚醒していない“視線”には何度となく遭遇していたからだ。自分がそうであったように、覚醒していない能力は単に第六感という不安定で不確かな感覚にすぎない。
覚醒していない者たちは同類を特定できない。“視線”は宙をさまよい第六感は錯覚となり意識から消え去る。
人間は本来そうした能力を持って生まれてくるのだ。しかし覚醒していない能力は大人たちに否定され、自らも封印してしまい深い眠りにつく。そして二度と目覚めることはない。

木漏れ日の小径を黄色い頭のヒヨコたちの行進は享介の前を通り過ぎていった。夢の続きを見ているようで微笑みそうになる。
…能力など覚醒しなくていい、そのまま眠っていろ。…
享介は“視線”の主に語りかけていた。

享介には考えるべきことがたくさんあった。
逃げ回ることは止めたが<片割れ>を探す方法は見つからなかった。
いつまでも「此処」に留まることは出来ない。しかし享介は注意深くこの広い公園を探索しなければならなかった。今は「此処」が城なのだ。生きるために迎え撃つために「此処」を知っておくのは享介に出来る最善策だった。
異形の姿で歩き回っても誰も気にもかけない。
此処は市民の憩いの場所であるが、タイショーのいた場所と同じホームレスのコロニーでもあった。
しかしあんな思いはたくさんだ。誰が死のうが気にしないつもりだったが、自分を気遣ってくれた人間は例外だ。だから誰も寄せ付けない。そう心に誓っていた。
幸いにも此処のコロニーは完成されていなかった。青いビニールシートの「家」が点在するのもそんな理由であり、完成された集落は公園の外周道路近くにあった。
享介の寝ていた中心部には「家」は少なく、住人たちの拒絶の姿勢を感じた。無意識とはいえ享介の判断は間違ってはいなかったのだ。
公園には売店や露天が多くあり、ゴミ箱を漁ると充分な食料を確保できた。
不在の「家」からビニールシートと段ボールを拝借し、元いた場所にささやかな「家」を作り、残飯を貪り喰った。
眠気は直ぐに襲ってきた。“視線”を意識する。それは思った以上に消耗するのだ。

『オジサンはだあれ?』
享介は『声』に驚き飛び起きた。「家」の外に明確な“視線”を感じる。
そかしその“視線”に邪気は感じられない。
慎重にブルーシートをたくしあげると、そこには黄色い頭のヒヨコがひとり立っていた。
『オジサンはだあれ?』切れ長の聡明そうな目をした幼児は口を動かすことなく話しかけてきた。
「こんな所に来ちゃダメだ!」
『だってオジサンのこえがきこえたよ』
「そんな風に喋ったらダメだ!ちゃんと自分の声で話さなくちゃダメだ!」
幼児相手であることを忘れていた。しかしただの幼児ではなかったのだ。
「ごめんなさい。でもこえがきこえたんだよ。オジサンのともだちのこえもね」
(影)の仕業か?しかし今は問いただすことは出来なかった。
「ぼくリョウタ。おうちはちかくだよ。オジサンはだあれ?」
生まれながらに覚醒している子供に会ったのは久し振りだ。それが無邪気であるだけに気掛かりになった。
「オジサンは、そうだな、ベンでいい。」享介はいつの間にか笑っていた。
「ベン?へんななまえ」リョウタも初めて笑顔を見せた。
「リョウタ。さっきみたいな喋り方はダメだぞ。そんなチカラは使っちゃいけない。」
「どうして?キヨコちゃんや、テツオくんにはきこえないよ」
「ぼくのこえがきこえたのはオジサンだけ。だからはなしたきたんだよ。」
「でも、もうそんな喋り方はダメだ。約束出来るか?」
リョウタは考え込んでいた。何故ダメなのか判らなかったのだ。
首を傾げ返事をためらっているリョウタと約束させようとする享介の耳に、リョウタを呼ぶ声が聞こえた。
「あっ、リンコせんせいだ。」リョウタは急に声の方向に走りだした。
両手を飛行機の翼のように広げ蛇行して走る姿に、享介は少し寂しさを覚えた。10メーターほど走ると急に享介の方に旋回して立ち止まり、両手をいっぱいに振るとまた急旋回して走り去る。
リョウタにつられ思わず手を振っていたことが恥ずかしくなった。それでもリョウタの姿を追い続けた。
空間が歪んだのはリョウタの姿が木々に遮られる瞬間だった。
享介の目の前、30センチ先に突然一個のキャンディが現れた。
キャンディは空中に静止し、享介が手を伸ばすと手の平に落下してきた。
『ベンおじちゃ〜ん。またくるね〜』リョウタの声が聞こえた。
『約束守るんだぞ〜』
『は〜い』その声を最後にリョウタの“視線”も消えた。

「オジサンはだあれ?か…」享介は声に出して自分に問い掛けた。
しかし欠落した記憶のせいで答えは見つからなかった。
享介は<片割れ>を消し去った時に、自分の過去も消し去ってしまったのだ。
此処にも長居は出来ないな…。リョウタのためにも、自分が誰なのかを知るためにも、そう思いながらリョウタがくれたキャンディを口に放り込んだ。


科捜研を後にした池内刑事は行き詰まっていた。
ど派手な半纏を着たガタイのいいホームレス。そんな奴は簡単に見つかると高をくくっていたのだが、聞き込みを繰り返しても足取りすら掴めなかった。
有り得ないことだ。いくら他人に無関心な時代でも、あれだけの異形の輩を見過ごすはずはない。なにかある。刑事の感がそう思わせていたが、頼みの相棒は科捜研を出てから使い物にならなくなっていた。
「佐武やん。あのサオリって女、俺に惚れていやがる。」
「ありゃ〜テレパシーだ。俺の中に入ってきて言いやがったんだ。『お楽しみは今度ね』って…」
普段はクールな市瀬刑事は興奮していた。昼間っから頬を赤く染めていやがる。
オカルト好きの池内刑事の話を鼻で笑う。それが市瀬刑事だったのにだ。
ハゲ頭をいくら擦ってみても妙案は浮かばなかった。こんな時は現場百辺。捜査の基本に立ち返るしかない。うわごとを繰り返す市瀬刑事の尻を叩き、事件現場の市役所に向かうことにした。

島村優香の捜索願が出たのはそんな矢先だった。届け出たのはボランティアに参加していた遠藤あゆみだ。
あゆみによると、事件当夜確かに優香をマンションまで送り帰宅したのだが、それ以降優香の消息は消えそうだ。
連絡を受けたふたりは優香のマンションいた。
タイショーとベン。ベンと優香。繋がる線は細いが今はそれに頼るしかない。
優香の部屋は、若い女性にふさわしい小物で飾られ小綺麗に整っていた。
「佐武やん。なんか変じゃね〜か?」市瀬刑事は驚く池内刑事を後目に、部屋を物色始めた。新たなる糸口に刑事魂が甦ったのだろう。
確かに変だった。生活の痕跡が稀薄なのだ。冷蔵庫も洗濯機もゴミ箱も…モデルルームの一室のように整然としすぎているのだ。
「こりゃ臭いぜ、佐武やん」
「ぷんぷん臭うぜ、市やん」
ふたりは島村優香の身辺を洗うことにした。
島村優香が派遣会社に登録したのは3ヶ月前。すぐさま派遣社員として小さな代理店の事務職に就く。正社員だった遠藤あゆみは年齢が近いことで仲良くなった。
炊き出しのボランティアに誘ったのは優香の方で、あゆみは正義感の強い優しい優香を誇らしく思っていた。
代理店では思ったような収穫は得られなかった。しかし派遣会社で思わぬ事実が判明する。島村優香の履歴書は全てが嘘だったのだ。唯一の真実は島村優香の存在。しかしそれも別人だった。
本物の島村優香は郊外の大学病院で寝たきりの生活を送っていた。
振り出しに戻ってしまった。池内・市瀬両刑事は落胆を隠せなかった。
ホームレスの殺人事件。その後の失踪事件。その女性が身分を偽って生活していた。
それらの事柄がひとつの線で繋がっているのかいないのか。それすらも判らない。それでも捜査を続けなければならない。重い足を引きずって島村優香の入院先を訪れることにした。

その病院は大学の知名度とはかけ離れた立派な建物だった。規模は小さいものの最新鋭の設備が整っていることはふたりの刑事にも容易に理解出来た。
「セント・エルモス大学付属病院。佐武やん。知ってたか?」
「言っちゃ〜悪いけど、3流大学の病院とは思えねぇ〜な!」
「まったくだ。これだけのモンを俺たちデカが知らねぇ〜とは…」
病院の看護婦に案内されていることもお構いなしに正直な感想を述べていた。
池内刑事は看護婦の表情を盗み見してみたが、意にも介さない。そんな風だった。
ふたりはほとんどの病室が個室であることに驚きながら島村優香の病室に向かったが、病室のドアが瞳の虹彩による個人認証システムを採用している事に再び驚いた。
…ここまで厳重にする必要があるのか?…
本物の島村優香の病室は想像通り立派だった。窓にはカーテンはなく、窓ガラスそのものが乳白色になって陽射しを遮っていた。間接照明の柔らかい光で満たされた部屋の四隅にも監視カメラが設置されている。
なによりベッドが宇宙船の冬眠カプセルのようなカタチをしている。
看護婦に促されベッドを覗き込んだふたりは驚愕した。
そこには事件当夜、ふたりが取り調べた島村優香その人が眠っていた。
池内刑事は胸ポケットから優香のポートレートを取り出した。島村優香に間違いないと思われた女性はくちびるの右下にほくろがある。
写真の優香は左下にほくろがあった。病院のカルテも別人であることを物語っていた。
本物の優香は10年も前からこの病院で眠り続けていたのだ。
ふたりは途切れかけた線がかろうじて繋がっていたことを確信した。
優香を騙っていた女と優香自身の接点。それは血の繋がりを感じさせていた。
カルテを元に島村優香本人を洗うべく病院を後にした。
しかしこの時はまだ、この病院の大元が峰サオリの出身校であることにふたりは気付いていなかった。


友愛幼稚園の砂場でひとり遊んでいたリョウタに見知らぬ女が近寄っていた。
リョウタは園内に入る前に女の存在に気付いていた。そして邪悪な雰囲気を纏っていることも。
「リョウタくんね?」
女の問い掛けに返事もせずにリョウタは身構えた。今までもこんな大人とは出逢っていたがその都度気配を消してやり過ごしていた。リョウタがまだ乳飲み子のころからだ。
それでもこの女は近寄って来た。ただ者ではない。それは幼稚園児のリョウタにも感じることが出来た。
ジーンズにピンク色のトレーナー。そしてクマさんの絵柄のエプロン。誰もが幼稚園の先生と疑わない姿の女はもう一度呼びかけて来た。
「リョウタくんでしょ?」
女は引きつった笑顔を浮かべなおも近づいてくる。そして身じろぎもせず身構えるリョウタの腕を掴んだ。その力は思いのほか強かった。
痛みと恐怖に思わず叫び声を上げるリョウタ。
「うわ〜!」
その刹那、女の姿は忽然と消え去った。
それは享介のチカラとは違っていた。地球上の何処か違う場所。そこに女は瞬間移動させられたのだ。
『ベンおじちゃ〜ん!』
リョウタは恐怖のあまり享介を呼んでいた。
この事態に、両親ではなく昨日逢ったばかりのホームレスの名を心の声で叫んでいたのだ。

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