享介はその日も視線を感じていた。まちがいない、今度こそ悪意に満ちた視線。どこからかわからないが、確かに感じる。 「ここももう見つかってしまったか。」 享介は周りが見渡せる場所へと移動していた。 視線はどんどん近づいており、すでに公園の中に侵入している。あの滑り台のあたり・・・いや、隣の噴水の向こうの死角、あそこか! 享介は拳をにぎり、いつでも力を出せるように身構えた。
その刹那−
風景が暗転した。 一瞬にして視界が黒く塗りつぶされ、夜より濃い暗さに変わった。 「な、なんだこれは?」 何も見えない。目の前に墨汁をぶちまけられたよう。 暗闇の中で体が宙に浮いてる感覚。まるで現実感に乏しい。 『はじめまして』 それは、享介の頭の中に直接話しかけてきた。 「誰だ!ここはどこだ!?お前はどこにいる!?」 混乱する享介は頭に浮かんだ質問を次々口にした。 『そんなに一度に聞かれても、答えられないよ。でもひとつだけ教えてあげる。』 それは突然、目の前に姿を現した。年恰好は享介と同じくらい。長髪でスーツが似合う、なかなかの美男子だ。 『僕は君の友達。君と同じ、作られた人間さ。』 相対してるにもかかわらず、口を動かさずに思念で話しかけてくる。 「チェイサー(追跡者)め!」 享介は思いっきり力を込めて念じた。 「消えろ!!」 …だが何もおきない。 『無駄だよ。ここでは君の力は通じない。僕は君に忠告しに来たんだ。おとなしくGENEにもどるんだ。さもないと、本当に死ぬことになる。』 享介は目の前にいるその男に掴みかかろうとした。だが・・・体が動かない、まるで金縛りにあったように。 『君は大事な研究材料だ。君のL体の居場所はすでに見当をつけている。おとなしく組織にもどれば、君の悪いようにはしないさ。君だって、能力が制御できないのは困るだろう?まあ考えといてくれ。君の返答しだいでは、あの子供・・・なんていったっけ?』 享介の顔が青ざめた。 「まさかリョウタを・・・」 『先日たまたま君たちが仲良さげにしてるのを見つけてね。気付かなかったのかい?まあ無理もないか。君の神経では二つ以上の視線を同時に認識することは難しいだろうから。』 それまで笑みを浮かべていた男の顔が急に引き締まる。 『・・・あれは危険な子だ。うちの調査員が一人、あの子供に飛ばされたよ。発見されたのは二日後、アンデス山中でだ。おどろくだろ?無意識だろうが、まだ年端もいかない子供が一人の人間を一瞬でそんなところまでとばしてしまうんだよ。あそこまで強い力を持っている子供は早いうちになんとかしておかないといけない。わかるかい?GENEの研究が世間に明るみに出てしまうと大混乱が起きる。スポンサーからも敬遠されてしまうしね。勝手に目立った行動をとられると困るんだよ。君もだが。』 「リョウタもお前たちの道具として利用しようというのか?」 『制御可能なら。さもなくば、消すしかないけどね。』 男はふっと笑った。 『まあ心配することはないよ。いったろ?悪いようにはしないって。君さえおとなしく組織に戻ればあの子に危害を加えるようなことはないさ。もっとも、保護はさせてもらうけどね。』 そういって、男は背を向けて歩き出した。 『それと、もし君が組織に戻らなかったらどうなるか、これから君の体に前もって体験させてあげるよ。』 そういって、男は暗闇に消えた。 「どういう意味だ?」 享介は力いっぱい体を動かそうと試みた。意外なほどあっさりと動いた。いつのまにか術は解けていたらしい。急いで男の後を追ってみようと走り出しただが、どれだけ走っても何も見えない。 うしろから何かがすさまじい速度で迫ってくる気配を感じた。 よける暇もなく、それは享介の右腕を切り落とした。 「う・・・うわあああ!」 反射的に落ちた右腕を残った左手で拾おうとする。だが伸ばした左腕は肘から切断された。 「ひいいいい!」 たまらず、その場から逃げ出そうと走り出した。 これはなんだ!なんなんだ!ここはどこなんだ! そして今度は首筋めがけて何かが迫ってきた。 「うああああああああ!!」
・・・気が付くと、享介は公園の真ん中で立ちすくんでいた。 我に返った享介は、まず長年共に過ごしてきた両腕がまだそこにあるかどうか確認した。 「・・・ちゃんとある・・・」 たまらず、その場にしゃがみこんだ。今まで見ていたのは幻覚・・・いや、それよりは現実に近いもの。おそらくあの男の力だろう。 「警告・・・それが目的か。」 『そうだな』 (影)が話しかけてきた。かつての俺のL体だった男の実体を失った姿・・・ 『やはりあいつらよりはやくL体を見つけ出し、ラセミ体になる必要がある。そうしないとGENEと闘って生き残ることはできない。あんな能力者が他にもいるようじゃね。もちろん、組織にもどってもL体があいつらの手元にある限りは、いいように利用されて、捨てられるだけさ。』 「生き残るため・・・か。しかし、これまでさんざん探してきたが、視線を常に感じ続けてる男なんて、そんな簡単にみつかるはずがない。遺伝子上は兄弟といっても外見はまったくちがうかもしれない・・・何か手がかりはないのか!」 享介は苛立っていた。この広い街のどこかにいるはずの男。 遺伝上は自分の兄弟。それしか手がかりはない。 『ボクたちがいた病院・・・あそこに何かの手がかりがあるかもしれないな。あのセント・エルモス大学付属病院・・・あそこはGENEとなんらかのつながりがあるはずだ。』 セント・エルモス大学付属病院・・・三流大学の付属病院とは思えないほどの設備を誇る医療施設。享介とかつてのL体すなわち(影)の実体はGENEの研究所とあの病院を言ったりきたりさせられていた。あの病院でいろいろな検査をされた。 「だがその前に、リョウタの安全を確保する必要があるな。」 『心配するな。ああは言ってたが、本当にリョウタを誘拐するようなバカな真似はしないさ。リスクが高すぎる。世間の目に触れるのを嫌う組織が、最近見つけたばかりの能力者をさらったり殺したりするなんて、そんな目立つことはできないさ。』 「・・・一理あるか。」 享介は嫌な予感を感じながらも、(影)の言うことに従った。 郊外のセント・エルモス大学付属病院へ。
科捜研ラボ。 峰サオリは一人、研究室にこもっていた。 ふと、後ろに気配を感じた。 「・・・丸山君、ここは部外者立入禁止よ。」 男が立っていた。 年は三十そこそこ、サオリとおなじくらいの年だが、中年太りのせいか遥かに老けて見える。 「立入禁止か・・・そんなもの、俺には関係ない。わかってるだろう?」 そういいながら、男は机に向かったままのサオリの肩に手を置いた。 「で、サオリちゃん、どうなんだい?警察関係の動きは?」 と丸山が聞く。 サオリは肩の手を払いのけながら、 「私をそんな呼び方できるのは、私の男だけよ。」 と、ムッとした表情でいった。 丸山はお手上げのポーズをして 「そいつは失礼、峰ちゃん。・・・で、どうなんだ?」 とあらためて聞いた。 サオリは椅子を回転させて、丸山の方に向き直った。 「上村享介を追ってる刑事は相当混乱してたわ。だって、遺伝子上、人間に近いけど人間ではありえないっていってあげたからね。そりゃ普通の人にはわけがわからないでしょう?」 「おいおい・・・そんなこといって大丈夫なのか?」 丸山は心配そうにいう。 「どうせすぐにわかることよ。ここにいるのは私だけじゃないから。どうせ彼らにその意味を理解するのは不可能よ。」 サオリはフフと笑った。 「ならいいがな。」 「それより、あの二人がセント・エルモス大付属病院で島村優香のL体のスペアを見つけたらしいわ。」 「なんだって?」 丸山は目を見開いた。 「そ・・・それで・・・どうした?」 「戸籍上は、あのL体が島村優香本人なのよ。どうせ血縁かなにかだろうということで落ち着くと思うわ。日本の警察にクローンやラセミ体の定義なんて理解できるわけないわ。」 と、サオリは冷静に言った。 「それにしても上層部も臆病ね。念のためにすべてのL体にスペアを作っておくなんて。もっとも上村享介の場合はそのおかげで利用できるわけだけどね。」 あらゆる事態を想定して、すべての『製品』のL体にはスペアが作られている。もともと体内にL体とR体を内蔵している島村優香だが、なにかの異変で体内のL体が機能しなくなるかもしれない。そんなわけで、島村優香も例外ではないのだ。 「だが島村優香の場合は危険だな。あのL体、処分しとくか?」 「今は危険だわ。あの二人の刑事が目をつけてるから。それより上村享介のほうどうなってるの?」 丸山は腕を組んでうなった。 「田村が接触したらしい。あいつの能力を使って精神に揺さぶりをかけたそうだ。」 「裏目にでなきゃいいけど。」 サオリは嫌な予感を感じていた。 「まあ大丈夫だろう。、上村を制御するためのL体ももうすぐ見つかりそうだし、そうなればあいつには何もできなくなる。万事うまくいくさ。」 「だといいけどね。」 丸山は後ろを向きながら、 「じゃ、そろそろいくよ。L体の回収に。あれを見つけないと上村の能力は抑えられない。」 そういって、ドアと反対側に歩き出した。 そのまま歩く速度を変えずに壁を突き抜けた。まるで幽霊のように。 「上村享介・・・おとなしく組織にもどるかしら?」 サオリは相変わらず嫌な予感をぬぐいきれずに呟いた。
市瀬刑事と池内刑事は島村優香を洗っていた。 10年前から寝たきり、ほとんど植物状態に近い。 事故によるもの・・・とのことだったが、警察の資料ではその当時の事故の記録がいくら調べても出てこなかった。 「こいつはおかしいぜ。」と市瀬刑事が言う。 「ああ!おかしいぜ!いったい島村優香・・・こいつは何モンなんだ??」池内刑事も合わせて言う。 「警察に資料がないってことは・・・病院の捏造ってか?何で病院がそんなことする必要があるんだ?そもそも、腑に落ちねえことばっかりじゃねえか。」 「まったくだ!そもそも島村優香とあの島村優香を語った女のつながりもまったくわからん。」 二人は延々と悩んでいた。考えていても答えはでない。 「大体、あの病院が怪しいんだ!調べてみる必要がありそうだぜ、佐竹やんよ!」 と、二人はセント・エルモス大学付属病院を調べてみることにした。
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